江戸川乱歩全集

少年探偵団

 江戸川乱歩著 出版:1937年

東京に現れた「黒い魔物」により次々と少女が誘拐されていく。少年探偵団と明智先生によって犯人を追いかけるのだが。。

江戸川乱歩の代表作。


9.地下室


1. 黒い魔物
2. 怪物追跡
3. 人さらい
4. のろいの宝石
5.黒い手
6.ふたりのインド人
7.銀色のメダル
8.少年捜索隊
9.地下室
10.消えるインド人
11.四つのなぞ
12.さかさの首
13.屋上の怪人
14.悪魔の昇天
15.怪軽気球の最後
16.黄金の塔
17.怪少女
18.奇妙なはかりごと
19.天井の声
20.意外また意外
21.きみが二十面相だ!
22.逃走
23.美術室の怪
24.大爆発

9.地下室

お話かわって、地下室に投げこまれた小林君と緑ちゃんとは、まっくらやみの中で、しばらくは身動きをする勇気もなく、グッタリとしていましたが、やがて目が暗やみになれるにしたがって、うっすらとあたりのようすがわかってきました。それは畳六畳敷きほどの、ごくせまいコンクリートの穴ぐらでした。ふつうの住宅にこんなみょうな地下室があるはずはありませんから、インド人たちが、この洋館を買いいれて、悪事をはたらくために、こっそりこんなものをつくらせたのにちがいありません。壁や床のコンクリートも、気のせいか、まだかわいたばかりのように新しく感じられます。
 小林君は、やっと元気をとりもどして、やみの中に立ちあがっていましたが、ただジメジメしたコンクリートのにおいがするばかりで、どこに一つすきまもなく、逃げだす見こみなど、まったくないことがわかりました。
 思いだされるのは、いつかとやまがはらの二十面相の巣くつに乗りこんでいって、地下室にとじこめられたときのことです。あのときは、天井につごうのよい窓がありました。そのうえ七つ道具や、ハトのピッポちゃんを用意していましたので、うまくのがれることができたのですが、こんどは、そんな窓もなく、まさか敵の巣くつにとらわれようとは、夢にも思いませんので、七つ道具の用意さえありません。こんなとき、万年筆型の懐中電燈でもあったらと思うのですが、それも持っていませんでした。
 しかし、たとえ逃げだす見こみはなくとも、まんいちのばあいの用意に、からだの自由だけは得ておかねばなりません。
 そこで、小林君は、緑ちゃんのそばへうしろ向きによこたわり、少しばかり動く手先を利用して、緑ちゃんのくくわれているなわの結びめをほどこうとしました。
 暗やみの中の、不自由な手先だけの仕事ですから、その苦心は、ひととおりでなく、長い時をついやしましたけれど、それでもやっと、目的をはたして、緑ちゃんの両手を自由にすることができました。
 すると、たった五つの幼児ですが、ひじょうにかしこい緑ちゃんは、すぐ、小林君の気持を察して、まず、自分のさるぐつわをはずしてから、泣きじゃくりながらも、小林君のうしろにまわり、手さぐりで、そのなわの結びめをといてくれるのでした。
 それにも、また長いことかかりましたけれど、けっきょく、小林君も自由の身となり、さるぐつわをとって、ホッと息をつくことができました。
「緑ちゃん、ありがとう。かしこいねえ。泣くんじゃないよ。今にね、警察のおじさんが助けに来てくださるから、心配しなくてもいいんだよ。さあ、もっとこっちへいらっしゃい。」
 小林君はそういって、かわいい緑ちゃんを引きよせ、両手でギュッとだきしめてやるのでした。
 しばらくのあいだ、そうしているうちに、とつぜん、天井にあらあらしい靴音がして、ちょうど地下室への入り口あたりで立ちどまると、コトコトとみょうな物音がしはじめました。
 目をこらして、暗い天井を見あげていますと、はっきりとはわかりませんけれど、天井に小さな穴がひらいて、そこから何か太い管くだのようなものが、さしこまれているようすです。直径二十センチもある太い管です。
 おや、へんなことをするな、いったいあれはなんだろうと、ゆだんなく身がまえをして、なおもそこを見つめているうちに、ガガガ……というような音がしたかと思うと、とつじょとして、その太い管の口から、白いものが、しぶきをたてて、滝のように落ちはじめました。水です。水です。
 ああ、読者諸君、このときの小林君のおどろきは、どんなでしたろう。
 黒い怪物は、むごたらしくも、緑ちゃんと小林君とを、水責めにしようとしているのです。あのはげしさで落ちる水は、ほどもなく、たった六畳ほどの地下室に、すきまもなく満ちあふれてしまうにちがいありません。やがてふたりは、その水の中でできししなければならないのです。
 そういううちにも、水は地下室の床いちめんに、こうずいのように流れはじめました。もう、すわっているわけにはいきません。小林君は、緑ちゃんをだいて、水しぶきのかからぬすみのほうへ、身をさけました。
 水は、そうして立っている小林君の足をひたし、くるぶしをひたし、やがてじょじょに、じょじょに、ふくらはぎのほうへ、はいあがってくるのです。
 ちょうどそのころ、少年捜索隊の篠崎君と桂君の一組は、やっとのこと、インド人の自動車が通ったさびしい広っぱの近くへ、さしかかっていました。
 この道は、今までのうちで、いちばんさびしいから、念入りにしらべてみなければならないというので、べつだんの聞きこみもありませんでしたけれど、あきらめないで歩いていますと、夕やみの広っぱへはいろうとする少し手前のところで、駄菓子屋の店あかりの前を、七―八歳の男の子が、向こうからやってくるのに出あいました。
「おい、篠崎君、あの子どもの胸に光っている記章を見たまえ。なんだかぼくらのBDバッジに似ているじゃないか。」
 桂君のことばに、ふたりが、子どもに近づいてみますと、その胸にかけているのは、まごうかたもなく、少年探偵団のBDバッジでした。
 BDバッジというのは、小林君の発案で、ついこのあいだできあがったばかりの探偵団員の記章でした。BDというのは、Boy(少年)とDetective(探偵)のBとDとを模様のように組みあわせて、記章の図案にしたことから名づけられたのです。
「その記章、どこにあったの? どっかでひろいやしなかったの?」
 子どもをとらえてたずねてみますと、子どもは取りあげられはしないかと、警戒するふうで、
「ウン、あすこに落ちていたんだよ。ぼくんだよ。ぼくがひろったから、ぼくんだよ。」
 と、白い目でふたりをにらみました。
 子どもが、あすこでひろったと指さしたのは、広っぱのほうです。
「じゃ、小林さんが、わざと落としていったのかもしれないぜ。」
「ウン、そうらしいね。重大な手がかりだ。」
 ふたりは、勇みたってさけびました。
 小林少年が考案したBDバッジには、ただ、団員の記章というほかに、いろいろな用途があるのでした。まず第一は、重い鉛でできているので、ふだんから、それをたくさんポケットの中へ入れておけば、いざというときの石つぶてのかわりになる。第二には、敵にとらえられたばあいなどに、記章の裏のやわらかい鉛の面へ、ナイフで文字を書いて、窓や塀の外へ投げて、通信することができる。第三には、裏面の針にひもをむすんで、水の深さをはかったり、物の距離を測定することができる。第四には、敵に誘かいされたばあいに、道にこれをいくつも落としておけば、方角を知らせる目じるしになる。というように、小林君がならべたてたBDバッジの効能は、十ヵ条ほどもあったのです。
 団員たちは、ちょうどアメリカの刑事のように、このバッジを洋服の胸の内がわにつけて、何かのときには、そこをひらいてみせて、ぼくはこういうものだなどと、探偵きどりでじまんしていたのですが、その胸の記章のほかに、めいめいのポケットには、同じ記章が二十個から三十個ぐらいずつ、ちゃんと用意してあったのです。
 桂君と篠崎君とは、男の子が、そのBDバッジを広っぱの道路でひろったと聞くと、たちまち、今いった、第四の用途を思いだし、小林少年が捜索隊の道しるべとして、落としていったものと、さとりました。
 読者諸君は、もうとっくにおわかりでしょう。小林君が自動車の中で、インド人にしばられるとき、ソッとポケットからつかみだして、バンパーのつけねの上においた、百円銀貨のようなものは、このBDバッジにほかならなかったのです。そして、その小林君の目的は、いま、みごとに達せられたのです。
 篠崎、桂の二少年は、用意の万年筆型懐中電燈をとりだすと、男の子に教えられた地点へ走っていって、暗い地面を照らしながら、もうほかに記章は落ちていないかと、熱心にさがしはじめました。
「ああ、あった、あった。ここにも一つ落ちている。」
 懐中電燈の光の中に、新しい鉛の記章がキラキラとかがやいているのです。
「敵の自動車は、この道を通ったにちがいない。きみ、呼び子を吹いて、みんなを集めよう。」
 ふたりはポケットの七つ道具の中から、呼び子をとりだして、息をかぎりに吹きたてました。
 夜の空に、はげしい笛の音がひびきわたりますと、まださほど遠くへ行っていなかった残りの五人の少年が、彼らも呼び子で答えながら、どこからともなく、その場へ集まってきました。
「おい、みんな、この道にBDバッジが二つも落ちていたんだ。小林さんが落としていったものにちがいない。もっとさがせば、まだ見つかるかもしれない。みんなさがしてくれたまえ。そして、落ちているバッジをたどっていけば、犯人の巣くつをつきとめることができるんだ。」
 桂少年のさしずにしたがって、五人の少年も、それぞれ万年筆型懐中電燈をとりだして、いっせいに地面をさがしはじめました。そのさまは、まるで[#「まるで」は底本では「さるで」]七ひきのホタルが、やみの中をとびかわしているようです。
「あった、あった。こんなところに、泥まみれになっている。」
 ひとりの少年が、少し先のところで、また、一つのバッジをひろいあげてさけびました。これで三つです。
「うまい、うまい。もっと先へ進もう。ぼくらは、こうして、だんだん黒い怪物のほうへ近づいているんだぜ。さすがに小林さんは、うまいことを考えたなあ。」
 そして、七ひきのホタルは、やみの広っぱの中を、みるみる、向こうのほうへ遠ざかっていくのでした。

 地下室では、もう水が一メートルほどの深さになっていました。
 緑ちゃんをだいた小林君は、立っているのがやっとでした。水は胸の上まで、ヒタヒタとおしよせているのです。
 天井の管からの滝は、少しもかわらぬはげしさで、ぶきみな音をたてて、降りそそいでいます。
 緑ちゃんは、この地獄のような恐怖に、さいぜんから泣きさけんで、もう声も出ないほどです。
「こわくはない、こわくはない。にいちゃんがついているから、大じょうぶだよ。ぼくはね、泳ぎがうまいんだから、こんな水なんてちっともこわくはないんだよ。そして、今におまわりさんが、助けにいらっしゃるからね。いい子だから、ぼくにしっかりつかまっているんだよ。」
 しかし、そういううちにも、水かさはこくいっこくと増すばかり、小林君自身が、もう不安にたえられなくなってきました。それに、春とはいっても、水の中は身もこおるほどのつめたさです。
 ああ、ぼくは緑ちゃんといっしょに、この、だれも知らない地下室で、おぼれ死んでしまうのかしら。道へ探偵団のバッジを落としておいたけれど、もし団員があすこを通りかからなかったら、なんにもなりゃしないのだ。明智先生はどうしていらっしゃるかしら。こんなときに先生が東京にいてくださったら、まるで奇跡のようにあらわれて、ぼくらを救いだしてくださるにちがいないのだがなあ。
 そんなことを考えているうちにも、水は、もうのどのへんまでせまってきました。
 からだが水の中でフラフラして、立っているのも困難なのです。
 小林君は、緑ちゃんを背中にまわして、しっかりだきついているようにいいふくめ、いよいよつめたい水の中を泳ぎはじめました。せめて手足を動かすことによって寒さをわすれようとしたのです。
 でもこんなことが、いつまでつづくものでしょう。緑ちゃんという重い荷物をせおった小林君は、やがて力つきておぼれてしまうのではないでしょうか。いや、それよりも、もっと水かさが増して、天井いっぱいになってしまったら、どうするつもりでしょう。そうなれば、泳ごうにも泳げはしないのです。息をするすきもなくなってしまうのです。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。