江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


14.小林少年の勝利


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

14.小林少年の勝利

二十面相は、おとし戸のところにしゃがんだまま、今、とりあげたばかりのピストルを、手のひらの上でピョイピョイとはずませながら、とくいの絶頂でした。そして、なおも小林少年をからかってたのしもうと、何かいいかけたときでした。
 バタバタと二階からかけおりる音がして、コックの恐怖にひきつった顔があらわれました。
「たいへんです……。自動車が三台、おまわりがうじゃうじゃ乗っているんです……。二階の窓から見ていると、門の外でとまりました……。早く逃げなくっちゃ。」
 ああ、はたしてピッポちゃんは使命をはたしたのでした。そして、小林君の考えていたよりも早く、もう警官隊が到着したのでした。地下室で、このさわぎを聞きつけた少年探偵は、うれしさにとびたつばかりです。
 この不意うちには、さすがの二十面相も仰天しないではいられません。
「なに?」
と、うめいて、スックと立ちあがると、おとし戸をしめることもわすれて、いきなり表の入り口へかけだしました。
 でも、もうそのときはおそかったのです。入り口の戸を、外からはげしくたたく音が聞こえてきました。戸のそばに設けてあるのぞき穴に目をあててみますと、外は制服警官の人がきでした。
「ちくしょうっ。」
 二十面相は、怒りに身をふるわせながら、こんどは裏口に向かって走りました。しかし、中途までも行かぬうちに、その裏口のドアにも、はげしくたたく音が聞こえてきたではありませんか。賊の巣くつは、今や警官隊によって、まったく包囲されてしまったのです。
「かしら、もうだめです。逃げ道はありません。」
 コックが絶望のさけびをあげました。
「しかたがない、二階だ。」
 二十面相は、二階の屋根裏部屋へかくれようというのです。
「とてもだめです。すぐ見つかってしまいます。」
 コックは泣きだしそうな声でわめきました。賊はそれにかまわず、いきなり男の手をとって、ひきずるようにして、屋根裏部屋への階段をかけあがりました。
 ふたりの姿が階段に消えるとほどなく、表口のドアがはげしい音をたてて、たおれたかとおもうと、数名の警官が屋内になだれこんできました。それとほとんど同時に、裏口の戸もあいて、そこからも数名の制服警官。
 指揮官は、警視庁の鬼とうたわれた中村捜査係長その人です。係長は、表と裏の要所要所に見はりの警官を立たせておいて、残る全員をさしずして、部屋という部屋をかたっぱしから捜索させました。
「あっ、ここだ。ここが地下室だ。」
 ひとりの警官が例のおとし戸の上でどなりました。たちまちかけよる人々、そこにしゃがんで、うす暗い地下室をのぞいていたひとりが、小林少年の姿をみとめて、
「いる、いる。きみが小林君か。」
と呼びかけますと、待ちかまえていた少年は、
「そうです。早くはしごをおろしてください。」
と叫ぶのでした。
 いっぽう、階下の部屋部屋は、くまなく捜索されましたが、賊の姿はどこにも見えません。
「小林君、二十面相はどこへ行ったか、きみは知らないか。」
 やっと地下室からはいあがった、異様な衣姿の少年をとらえて、中村係長があわただしくたずねました。
「つい今しがたまで、このおとし戸のところにいたんです。外へ逃げたはずはありません。二階じゃありませんか。」
 小林少年のことばが終わるか終わらぬかに、その二階からただならぬさけび声がひびいてきました。
「早く来てくれ、賊だ、賊をつかまえたぞ!」
 それっというので、人々はなだれをうって、廊下の奥の階段へ殺到しました。ドカドカというはげしい靴音、階段をあがると、そこは屋根裏部屋で、小さな窓がたった一つ、まるで夕方のようにうす暗いのです。
「ここだ、ここだ。早く加勢してくれ。」
 そのうす暗い中で、ひとりの警官が、白髪|白髯の老人を組みしいて、どなっています。老人はなかなか手ごわいらしく、ともすればはねかえしそうで、組みしいているのがやっとのようすです。
 先にたった二―三人が、たちまち老人に組みついていきました。それを追って、四人、五人、六人、ことごとくの警官が折りかさなって、賊の上におそいかかりました。
 もうこうなっては、いかな凶賊も抵抗のしようがありません。みるみるうちに高手小手にいましめられてしまいました。
 白髪の老人が、グッタリとして、部屋のすみにうずくまったとき、中村係長が小林少年をつれてあがってきました。首実検のためです。
「二十面相は、こいつにちがいないだろうね。」
 係長がたずねますと、少年はそくざにうなずいて、
「そうです。こいつです。二十面相がこんな老人に変装しているのです。」
と答えました。
「きみたち、そいつを自動車へ乗せてくれたまえ。ぬかりのないように。」
 係長が命じますと、警官たちは四ほうから老人をひったてて、階段をおりていきました。
「小林君、大手がらだったねえ。外国から明智さんが帰ったら、さぞびっくりすることだろう。相手が二十面相という大物だからねえ。あすになったら、きみの名は日本中にひびきわたるんだぜ。」
 中村係長は少年名探偵の手をとって、感謝にたえぬもののように、にぎりしめるのでした。
 かくして、たたかいは、小林少年の勝利に終わりました。仏像は、最初からわたさなくてすんだのですし、ダイヤモンドは六個とも、ちゃんとカバンの中におさまっています。勝利も勝利、まったく申しぶんのない勝利でした。賊は、あれほどの苦心にもかかわらず、一物をも得ることができなかったばかりか、せっかく監禁した小林少年は救いだされ、彼自身は、とうとう、とらわれの身となってしまったのですから。
「ぼく、なんだかうそみたいな気がします。二十面相に勝ったなんて。」
 小林君は、興奮に青ざめた顔で、何か信じがたいことのようにいうのでした。
 しかし、ここに一つ、賊が逮捕されたうれしさのあまり、少年探偵がすっかり忘れていたことがらがあります。それは二十面相のやとっていたコックのゆくえです。彼は、いったいどこへ雲がくれしてしまったのでしょう。あれほどの家さがしに、まったく姿を見せなかったというのは、じつに、ふしぎではありませんか。
 逃げるひまがあったとは思われません。もしコックに逃げるよゆうがあれば、二十面相も逃げているはずです。では、彼はまだ屋内のどこかに身をひそめているのでしょうか。それはまったく不可能なことです。大ぜいの警官隊のげんじゅうな捜索に、そんな手ぬかりがあったとは考えられないからです。
 読者諸君、ひとつ本をおいて、考えてみてください。このコックの異様なゆくえ不明には、そもそもどんな意味がかくされているのかを。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。