江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


17.名探偵明智小五郎


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

17.名探偵明智小五郎

ネズミ色のトンビに身をつつんだ、小がらの左門老人が、長い坂道をチョコチョコと走らんばかりにして、富士屋旅館についたのは、もう午後一時ごろでした。
「明智小五郎先生は?」
とたずねますと、裏の谷川へ魚釣りに出かけられましたとの答え。そこで、女中を案内にたのんで、またテクテクと、谷川へおりていかなければなりませんでした。
 クマザサなどのしげった、あぶない道を通って、深い谷間におりると、美しい水がせせらぎの音をたてて流れていました。
 流れのところどころに、飛び石のように、大きな岩が頭を出しています。そのいちばん大きな平らな岩の上に、どてら姿のひとりの男が、背をまるくして、たれた釣りざおの先をじっと見つめています。
「あの方が、明智先生でございます。」
 女中が先にたって、岩の上をピョイピョイととびながら、その男のそばへ近づいていきました。
「先生、あの、このお方が、先生にお目にかかりたいといって、わざわざ遠方からおいでなさいましたのですが。」
 その声に、どてら姿の男は、うるさそうにこちらをふりむいて、
「大きな声をしちゃいけない。さかなが逃げてしまうじゃないか。」
としかりつけました。
 モジャモジャにみだれた頭髪、するどい目、どちらかといえば青白い引きしまった顔、高い鼻、ひげはなくて、キッと力のこもったくちびる、写真で見おぼえのある明智名探偵にちがいありません。
「あたしはこういうものですが。」
 左門老人は名刺をさしだしながら、
「先生におりいっておねがいがあっておたずねしたのですが。」
と、小腰をかがめました。
 すると明智探偵は、名刺を受けとることは受けとりましたが、よく見もしないで、さもめんどうくさそうに、
「ああ、そうですか。で、どんなご用ですか。」
といいながら、また釣りざおの先へ気をとられています。
 老人は女中に先へ帰るようにいいつけて、そのうしろ姿を見おくってから、
「先生、じつはきょう、こんな手紙を受けとったのです。」
と、ふところから例の、二十面相の予告状をとりだして、釣りざおばかり見ている探偵の顔の前へ、つきだしました。
「ああ、また逃げられてしまった……。こまりますねえ、そんなに釣りのじゃまをなすっちゃ。手紙ですって? いったいその手紙が、ぼくにどんな関係があるとおっしゃるのです。」
 明智はあくまでぶあいそうです。
「先生は二十面相と呼ばれている賊をごぞんじないのですかな。」
 左門老人は、少々むかっ腹をたてて、するどくいいはなちました。
「ホウ、二十面相ですか。二十面相が手紙をよこしたとおっしゃるのですか。」
 名探偵はいっこうおどろくようすもなく、あいかわらず釣りざおの先を見つめているのです。
 そこで、老人はしかたなく、怪盗の予告状を、自分で読みあげ、日下部家の「お城」にどのような宝物が秘蔵されているかを、くわしく物語りました。
「ああ、あなたが、あの奇妙なお城のご主人でしたか。」
 明智はやっと興味をひかれたらしく、老人のほうへ向きなおりました。
「はい、そうです。あの古名画類は、わしの命にもかえがたい宝物です。明智先生、どうかこの老人を助けてください。おねがいです。」
「で、ぼくにどうしろとおっしゃるのですか。」
「すぐに、わたしの宅までおこしねがいたいのです。そして、わしの宝物を守っていただきたいのです。」
「警察へおとどけになりましたか。ぼくなんかにお話になるよりも、まず、警察の保護をねがうのが順序だと思いますが。」
「いや、それがですて、こう申しちゃなんだが、わしは警察よりも先生をたよりにしておるのです。二十面相を向こうにまわして、ひけをとらぬ探偵さんは、先生のほかにないということを、わしは信じておるのです。
 それに、ここには小さい警察分署しかありませんから、腕ききの刑事を呼ぶにしたって、時間がかかるのです。なにしろ二十面相は、今夜わしのところをおそうというのですからね。ゆっくりはしておられません。
 ちょうどその日に、先生がこの温泉に来ておられるなんて、まったく神さまのおひきあわせと申すものです。先生、老人が一|生のおねがいです。どうかわしを助けてください。」
 左門老人は、手をあわさんばかりにして、かきくどくのです。
「それほどにおっしゃるなら、ともかくおひきうけしましょう。二十面相はぼくにとっても敵です。早くあらわれてくれるのを、待ちかねていたほどです。
 では、ごいっしょにまいりましょうか、そのまえに、いちおうは警察とも打ちあわせをしておかなければなりません。宿へ帰ってぼくから電話をかけましょう。そして、まんいちの用意に、二―三人刑事の応援をたのむことにしましょう。あなたは一足先へお帰りください。ぼくは刑事といっしょに、すぐかけつけます。」
 明智の口調は、にわかに熱をおびてきました。もう釣りざおなんか見向きもしないのです。
「ありがとう、ありがとう。これでわしも百万の味方をえた思いです。」
 老人は胸をなでおろしながら、くりかえしくりかえし、お礼をいうのでした。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。