江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


19.悪魔の知恵


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

19.悪魔の知恵

ああ、またしてもありえないことがおこったのです。二十面相というやつは、人間ではなくて、えたいのしれないお化けです。まったく不可能なことを、こんなにやすやすとやってのけるのですからね。
 明智はツカツカと部屋の中へはいっていって、いびきをかいている刑事の腰のあたりを、いきなりけとばしました。賊のためにだしぬかれて、もうすっかり腹をたてているようすでした。
「おい、おい、起きたまえ。ぼくはきみに、ここでおやすみくださいってたのんだんじゃないんだぜ。見たまえ、すっかりぬすまれてしまったじゃないか。」
 刑事は、やっとからだを起こしましたが、まだ夢うつつのありさまです。
「ウ、ウ、何をぬすまれたんですって? ああ、すっかりねむってしまった……。おや、ここはどこだろう。」
 寝ぼけた顔で、キョロキョロ部屋の中を見まわすしまつです。
「しっかりしたまえ。ああ、わかった。きみは麻酔剤でやられたんじゃないか。思いだしてみたまえ、ゆうべどんなことがあったか。」
 明智は刑事の肩をつかんで、らんぼうにゆさぶるのでした。
「こうっと、おや、ああ、あんた明智さんですね。ああ、ここは日下部の美術城だった。しまった。ぼくはやられたんですよ。そうです、麻酔剤です。ゆうべ真夜中に、黒い影のようなものが、ぼくのうしろへしのびよったのです。そして、そして、何かやわらかいいやなにおいのするもので、ぼくの鼻と口をふさいでしまったのです。それっきり、それっきり、ぼくは何もわからなくなってしまったんです。」
 刑事はやっと目のさめたようすで、さも申しわけなさそうに、からっぽの絵画室を見まわすのでした。
「やっぱりそうだった。じゃあ、表門と裏門を守っていた刑事諸君も、同じ目にあっているかもしれない。」
 明智はひとりごとをいいながら、部屋をかけだしていきましたが、しばらくすると、台所のほうで大声に呼ぶのが聞こえてきました。
「日下部さん。ちょっと来てください。」
 なにごとかと、老人と刑事とが、声のするほうへ行ってみますと、明智は下男部屋の入り口に立ってその中を指さしています。
「表門にも裏門にも、刑事君たちの影も見えません。そればかりじゃない。ごらんなさい、かわいそうに、このしまつです。」
 見ると、下男部屋のすみっこに、作蔵じいやとそのおかみさんとが、高手小手にしばられ、さるぐつわまでかまされて、ころがっているではありませんか。むろん賊のしわざです。じゃまだてをしないように、ふたりの召使いをしばりつけておいたのです。
「ああ、なんということじゃ。明智さん、これはなんということです。」
 日下部老人は、もう半狂乱のていで、明智につめよりました。命よりもたいせつに思っていた宝物が夢のように一夜のうちに消えうせてしまったのですから、むりもないことです。
「いや、なんとも申しあげようもありません。二十面相がこれほどの腕まえとは知りませんでした。相手をみくびっていたのが失策でした。」
「失策? 明智さん、あんたは失策ですむじゃろうが、このわしは、いったいどうすればよいのです。……名探偵、名探偵と評判ばかりで、なんだこのざまは……。」
 老人はまっさおになって、血走った目で明智をにらみつけて、今にも、とびかからんばかりのけんまくです。
 明智はさも恐縮したように、さしうつむいていましたが、やがて、ヒョイとあげた顔を見ますと、これはどうしたというのでしょう。名探偵は笑っているではありませんか。その笑いが顔いちめんにひろがっていって、しまいにはもうおかしくておかしくてたまらぬというように、大きな声をたてて、笑いだしたではありませんか。
 日下部老人は、あっけにとられてしまいました。明智は賊にだしぬかれたくやしさに、気でもちがったのでしょうか。
「明智さん、あんた何がおかしいのじゃ。これ、何がおかしいのじゃというに。」
「ワハハハ……、おかしいですよ。名探偵明智小五郎、ざまはないですね。まるで赤子の手をねじるように、やすやすとやられてしまったじゃありませんか。二十面相というやつはえらいですねえ。ぼくはあいつを尊敬しますよ。」
 明智のようすは、いよいよへんです。
「これ、これ、明智さん、どうしたんじゃ、賊をほめたてているばあいではない。チェッ、これはまあなんというざまだ。ああ、それに、作蔵たちを、このままにしておいてはかわいそうじゃ。刑事さん、ぼんやりしてないで、早くなわをといてやってください。さるぐつわもはずして。そうすれば作蔵の口から賊の手がかりもつくというもんじゃないか。」
 明智が、いっこうたよりにならぬものですから、あべこべに、日下部老人が探偵みたいにさしずをするしまつです。
「さあ、ご老人の命令だ。なわをといてやりたまえ。」
 明智が刑事にみょうな目くばせをしました。
 すると、今までぼんやりしていた刑事が、にわかにシャンと立ちなおって、ポケットから一たばの捕縄をとりだしたかと思うと、いきなり日下部老人のうしろにまわって、パっとなわをかけ、グルグルとしばりはじめました。
「これ、何をする。ああ、どいつもこいつも、気ちがいばかりじゃ。わしをしばってどうするのだ。わしをしばるのではない。そこにころがっている、ふたりのなわをとくのじゃ。これ、わしではないというに。」
 しかし、刑事はいっこう手をゆるめようとはしません。無言のまま、とうとう老人を高手小手にしばりあげてしまいました。
「これ、気ちがいめ。これ、何をする。あ、痛い痛い。痛いというに。明智さん、あんた何を笑っているのじゃ。とめてくださらんか。この男は気がちがったらしい。早く、なわをとくようにいってください。これ、明智さんというに。」
 老人は、何がなんだかわけがわからなくなってしまいました。みんなそろって気ちがいになったのでしょうか。でなければ、事件の依頼者をしばりあげるなんて法はありません。またそれを見て、探偵がニヤニヤ笑っているなんてばかなことはありません。
「ご老人、だれをお呼びになっているのです。明智とかおっしゃったようですが。」
 明智自身が、こんなことをいいだしたのです。
「何をじょうだんをいっているのじゃ。明智さん、あんた、まさか自分の名をわすれたのではあるまい。」
「このぼくがですか。このぼくが明智小五郎だとおっしゃるのですか。」
 明智はすまして、いよいよへんなことをいうのです。
「きまっておるじゃないか。何をばかなことを……。」
「ハハハ……、ご老人、あなたこそ、どうかなすったんじゃありませんか。ここには明智なんて人間はいやしませんぜ。」
 老人はそれを聞くと、ポカンと口をあけて、キツネにでもつままれたような顔をしました。
 あまりのことにきゅうには口もきけないのです。
「ご老人、あなたは以前に明智小五郎とお会いになったことがあるのですか。」
「会ったことはない。じゃが、写真を見てよく知っておりますわい。」
「写真? 写真ではちと心ぼそいですねえ。その写真にぼくが似ているとでもおっしゃるのですか。」
「…………」
「ご老人、あなたは、二十面相がどんな人物かということを、おわすれになっていたのですね。二十面相、ほら、あいつは変装の名人だったじゃありませんか。」
「そ、それじゃ、き、きさまは……。」
 老人はやっと、事のしだいがのみこめてきました。そしてがくぜんとして色をうしなったのでした。
「ハハハ……、おわかりになりましたかね。」
「いや、いや、そんなばかなことがあるはずはない。わしは新聞を見たのじゃ。『伊豆日報』にちゃんと『明智探偵来修』と書いてあった。それから、富士屋の女中がこの人だと教えてくれた。どこにもまちがいはないはずじゃ。」
「ところが大まちがいがあったのですよ。なぜって、明智小五郎は、まだ、外国から帰りゃしないのですからね。」
「新聞がうそを書くはずはない。」
「ところが、うそを書いたのですよ。社会部のひとりの記者が、こちらの計略にかかってね、編集長にうその原稿をわたしたってわけですよ。」
「フン、それじゃ刑事はどうしたんじゃ。まさか警察がにせの明智探偵にごまかされるはずはあるまい。」
 老人は、目の前に立ちはだかっている男を、あのおそろしい二十面相だとは、信じたくなかったのです。むりにも明智小五郎にしておきたかったのです。
「ハハハ……、ご老人、まだそんなことを考えているのですか。血のめぐりが悪いじゃありませんか。刑事ですって? あ、この男ですか、それから表門裏門の番をしたふたりですか、ハハハ……、なにね、ぼくの子分がちょいと刑事のまねをしただけですよ。」
 老人は、もう信じまいとしても信じないわけにはいきませんでした。明智小五郎とばかり思いこんでいた男が、名探偵どころか、大盗賊だったのです。おそれにおそれていた怪盗二十面相、その人だったのです。
 ああ、なんというとびきりの思いつきでしょう、探偵が、すなわち、盗賊だったなんて。日下部老人は、人もあろうに二十面相に宝物の番人をたのんだわけでした。
「ご老人、ゆうべのエジプトたばこの味はいかがでした。ハハハ……、思いだしましたか。あの中にちょっとした薬がしかけてあったのですよ。ふたりの刑事が部屋へはいって、荷物を運びだし、自動車へつみこむあいだ、ご老人に一ねむりしてほしかったものですからね。あの部屋へどうしてはいったかとおっしゃるのですか。ハハハ……、わけはありませんよ。あなたのふところから、ちょっとかぎを拝借すればよかったのですからね。」
 二十面相は、まるで世間話でもしているように、おだやかなことばを使いました。しかし、老人にしてみれば、いやにていねいすぎるそのことばづかいが、いっそう腹だたしかったにちがいありません。
「では、ぼくたちは急ぎますから、これで失礼します。美術品はじゅうぶん注意して、たいせつに保管するつもりですから、どうかご安心ください。では、さようなら。」
 二十面相は、ていねいに一礼して、刑事に化けた部下をしたがえ、ゆうぜんと、その場をたちさりました。
 かわいそうな老人は、何かわけのわからぬことをわめきながら、賊のあとを追おうとしましたが、からだじゅうをぐるぐる巻きにしたなわのはしが、そこの柱にしばりつけてあるので、ヨロヨロと立ちあがってはみたものの、すぐバッタリとたおれてしまいました。そして、たおれたまま、くやしさと悲しさに、歯ぎしりをかみ、涙さえ流して、身もだえするのでありました。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。