江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


23.「わしがほんものじゃ」


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

23.「わしがほんものじゃ」

「この人でした。この人にちがいありません。」
 小林君は、キッパリと答えました。
「ハハハ……、どうだね、きみ、子どもの眼力にかかっちゃかなわんだろう。きみが、なんといいのがれようとしたって、もうだめだ。きみは二十面相にちがいないのだ。」
 中村係長は、うらみかさなる怪盗を、とうとうとらえたかと思うと、うれしくてしかたがありませんでした。勝ちほこったように、こういって、真正面から賊をにらみつけました。
「ところが、ちがうんですよ。こいつあ、こまったことになったな。わしは、あいつが有名な二十面相だなんて、少しも知らなかったのですよ。」
 紳士に化けた賊は、あくまでそらとぼけるつもりらしく、へんなことをいいだすのです。
「なんだって? きみのいうことは、ちっともわけがわからないじゃないか。」
「わしもわけがわからんのです。すると、あいつがわしに化けてわしを替え玉に使ったんだな。」
「おいおい、いいかげんにしたまえ。いくらそらとぼけたって、もうその手には乗らんよ。」
「いやいや、そうじゃないんです。まあ、落ちついて、わしの説明を聞いてください。わしは、こういうものです。けっして、二十面相なんかじゃありません。」
 紳士はそういいながら、今さら思いだしたように、ポケットから名刺入れを出して、一枚の名刺をさしだしました。それには『松下庄兵衛』とあって、杉並区のあるアパートの住所も、印刷してあるのです。
「わしは、このとおり松下というもので、少し商売に失敗しまして、今はまあ失業者という身のうえ、アパート住まいのひとり者ですがね。きのうのことでした。日比谷公園をブラブラしていて、ひとりの会社員ふうの男と知りあいになったのです。その男が、みょうな金もうけがあるといって、教えてくれたのですよ。
 つまり、きょう一日、自動車に乗って、その男のいうままに、東京中を乗りまわしてくれれば、自動車代はただのうえに、五千円の手あてを出すというのです。うまい話じゃありませんか。わしはこんな身なりはしていますけれど、失業者なんですからね、五千円の手あてがほしかったですよ。
 その男は、これには少し事情があるのだといって、何かクドクドと話しかけましたが、わしはそれをおしとどめて、事情なんか聞かなくてもいいからといって、さっそく承知してしまったのです。
 そこで、きょうは朝から自動車でほうぼう乗りまわしましてな。おひるは鉄道ホテルで食事をしろという、ありがたいいいつけなんです。たらふくごちそうになって、ここでしばらく待っていてくれというものだから、ホテルの前に自動車をとめて、その中にこしかけて待っていたのですが、三十分もしたかとおもうころ、ひとりの男が鉄道ホテルから出てきて、わしの車をあけて、中へはいってくるのです。わしは、その男を一目見て、びっくりしました。気がちがったのじゃないかと思ったくらいです。なぜといって、そのわしの車へはいってきた男は、顔から、背広から、がいとうからステッキまで、このわしと一|分一|厘もちがわないほど、そっくりそのままだったからです。まるでわしが鏡にうつっているような、へんてこな気持でした。
 あっけにとられて見ていますとね、ますますみょうじゃありませんか。その男は、わしの車へはいってきたかと思うと、こんどは反対がわのドアをあけて、外へ出ていってしまったのです。
 つまり、そのわしとそっくりの紳士は、自動車の客席を、通りすぎただけなんです。そのとき、その男は、わしの前を通りすぎながら、みょうなことをいいました。
『さあ、すぐに出発してください。どこでもかまいません。全速力で走るのですよ。』
 こんなことをいいのこして、そのまま、ごぞんじでしょう、あの鉄道ホテルの前にある、地下室の理髪店の入り口へ、スッと姿をかくしてしまいました。わしの自動車は、ちょうどその地下室の入り口の前にとまっていたのですよ。
 なんだかへんだなとは思いましたが、とにかく先方のいうままになるという約束ですから、わしはすぐ運転手に、フル・スピードで走るようにいいつけました。
 それから、どこをどう走ったか、よくもおぼえませんが、早稲田大学のうしろのへんで、あとから追っかけてくる自動車があることに気づきました。なにがなんだかわからないけれど、わしは、みょうにおそろしくなりましてな。運転手に走れ走れとどなったのですよ。
 それからあとは、ご承知のとおりです。お話をうかがってみると、わしはたった五千円の礼金に目がくれて、まんまと二十面相のやつの替え玉に使われたというわけですね。
 いやいや、替え玉じゃない。わしのほうがほんもので、あいつこそわしの替え玉です。まるで、写真にでもうつしたように、わしの顔や服装を、そっくりまねやがったんです。
 それがしょうこに、ほら、ごらんなさい。このとおりじゃ。わしは正真正銘の松下庄兵衛です。わしがほんもので、あいつのほうがにせ者です。おわかりになりましたかな。」
 松下氏はそういって、ニューッと顔を前につきだし、自分の頭の毛を、力まかせに引っぱってみせたり、ほおをつねってみせたりするのでした。
 ああ、なんということでしょう。中村係長は、またしても、賊のためにまんまといっぱいかつがれたのです。警視庁をあげての、凶賊逮捕の喜びも、ぬか喜びに終わってしまいました。
 のちに、松下氏のアパートの主人を呼びだして、しらべてみますと、松下氏は少しもあやしい人物でないことがたしかめられたのです。
 それにしても、二十面相の用心ぶかさはどうでしょう。東京駅で明智探偵をおそうためには、これだけの用意がしてあったのです。部下を空港ホテルのボーイに住みこませ、エレベーター係を味方にしていたうえに、この松下という替え玉紳士までやといいれて、逃走の準備をととのえていたのです。
 替え玉といっても、二十面相にかぎっては、自分によく似た人をさがしまわる必要は、少しもないのでした。なにしろ、おそろしい変装の名人のことです。手あたりしだいにやといいれた人物に、こちらで化けてしまうのですから、わけはありません。相手はだれでもかまわない。口車に乗りそうなお人よしをさがしさえすればよかったのです。
 そういえば、この松下という失業紳士は、いかにものんき者の好人物にちがいありませんでした。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。