江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


29.名探偵の狼藉


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

29.名探偵の狼藉

「え、え、きみは何をいっているんだ。何もぬすまれてなんかいやしないじゃないか。ぼくは、つい今しがた、この目で陳列室をずっと見まわってきたばかりなんだぜ。それに、博物館のまわりには、五十人の警官が配置してあるんだ。ぼくのところの警官たちはめくらじゃないんだからね。」
 警視総監は、明智をにらみつけて、腹だたしげにどなりました。
「ところが、すっかりぬすみだされているのです。二十面相は例によって魔法を使いました。なんでしたら、ごいっしょにしらべてみようではありませんか。」
 明智は、しずかに答えました。
「フーン、きみはたしかにぬすまれたというんだね。よし、それじゃ、みんなでしらべてみよう。館長、この男のいうのがほんとうかどうか、ともかく陳列室へ行ってみようじゃありませんか。」
 まさか明智がうそをいっているとも思えませんので、総監も一度しらべてみる気になったのです。
「それがいいでしょう。さあ、北小路先生もごいっしょにまいりましょう。」
 明智は白髪白髯の老館長にニッコリほほえみかけながら、うながしました。
 そこで、四人は、つれだって館長室を出ると、廊下づたいに本館の陳列場のほうへはいっていきましたが、明智は北小路館長の老体をいたわるようにその手を取って、先頭に立つのでした。
「明智君、きみは夢でも見たんじゃないか。どこにも異状はないじゃないか。」
 陳列場にはいるやいなや、刑事部長がさけびました。
 いかにも部長のいうとおり、ガラス張りの陳列棚の中には、国宝の仏像がズラッとならんでいて、べつになくなった品もないようすです。
「これですか。」
 明智は、その仏像の陳列棚を指さして、意味ありげに部長の顔を見かえしながら、そこに立っていた守衛に声をかけました。
「このガラス戸をひらいてくれたまえ。」
 守衛は、明智小五郎を見知りませんでしたけれど、館長や警視総監といっしょだものですから、命令に応じて、すぐさま持っていたかぎで、大きなガラス戸を、ガラガラとひらきました。
 すると、そのつぎのしゅんかん、じつに異様なことがおこったのです。
 ああ、明智探偵は、気でもちがったのでしょうか。彼は、広い陳列棚の中へはいって行ったかと思うと、中でもいちばん大きい、木彫りの古代仏像に近づき、いきなり、そのかっこうのよい腕を、ポキンと折ってしまったではありませんか。
 しかもそのすばやいこと、三人の人たちが、あっけにとられ、とめるのもわすれて、目を見はっているまに、同じ陳列棚の、どれもこれも国宝ばかりの五つの仏像を、つぎからつぎへと、たちまちのうちに、片っぱしからとりかえしのつかぬ傷ものにしてしまいました。
 あるものは腕を折られ、あるものは首をひきちぎられ、あるものは指をひきちぎられて、見るもむざんなありさまです。
「明智君、なにをする。おい、いけない。よさんか。」
 総監と刑事部長とが、声をそろえてどなりつけるのを聞きながして、明智はサッと陳列棚を飛びだすと、また、さいぜんのように老館長のそばへより、その手をにぎって、にこにこと笑っているのです。
「おい、明智君いったい、どうしたというんだ。らんぼうにもほどがあるじゃないか。これは博物館の中でもいちばん貴重な国宝ばかりなんだぞ。」
 まっかになっておこった刑事部長は、両手をふりあげて、今にも明智につかみかからんばかりのありさまです。
「ハハハ……。これが国宝だってあなたの目はどこについているんです。よく見てください。今ぼくが折りとった仏像の傷口を、よくしらべてください。」
 明智の確信にみちた口調に、刑事部長は、ハッとしたように、仏像に近づいて、その傷口をながめまわしました。
 すると、どうでしょう。首をもがれ、手を折られたあとの傷口からは、外見の黒ずんだ古めかしい色あいとは似ても似つかない、まだなまなましい白い木口が、のぞいていたではありませんか。奈良時代の彫刻に、こんな新しい材料が使われているはずはありません。
「すると、きみは、この仏像がにせものだというのか。」
「そうですとも、あなた方に、もう少し美術眼がありさえすれば、こんな傷口をこしらえてみるまでもなく、ひと目でにせものとわかったはずです。新しい木で模造品を作って、外から塗料をぬって古い仏像のように見せかけたのですよ。模造品専門の職人の手にかけさえすれば、わけなくできるのです。」
 明智は、こともなげに説明しました。
「北小路さん、これはいったい、どうしたことでしょう。国立博物館の陳列品が、まっかなにせものだなんて……。」
 警視総監が老館長をなじるようにいいました。
「あきれました。あきれたことです。」
 明智に手をとられて、ぼうぜんとたたずんでいた老博士が、ろうばいしながら、てれかくしのように答えました。
 そこへ、さわぎを聞きつけて、三人の館員があわただしくはいってきました。その中のひとりは、古代美術鑑定の専門家で、その方面の係長をつとめている人でしたが、こわれた仏像をひと目見ると、さすがにたちまち気づいてさけびました。
「アッ、これはみんな模造品だ。しかし、へんですね。きのうまでは、たしかにほんものがここにおいてあったのですよ。わたしはきのうの午後、この陳列棚の中へはいったのですから、まちがいありません。」
「すると、きのうまでほんものだったのが、きょうとつぜん、にせものとかわったというのだね。へんだな、いったい、これはどうしたというのだ。」
 総監がキツネにつままれたような表情で、一同を見まわしました。
「まだおわかりになりませんか。つまり、この博物館の中は、すっかり、からっぽになってしまったということですよ。」
 明智はこういいながら、向こうがわの別の陳列棚を指さしました。
「な、なんだって? すると、きみは……。」
 刑事部長が、思わずとんきょうな声をたてました。
 さいぜんの館員は、明智のことばの意味をさとったのか、ツカツカとその棚の前に近づいて、ガラスに顔をくっつけるようにして、中にかけならべた黒ずんだ仏画を凝視しました。そして、たちまちさけびだすのでした。
「アッ、これも、これも、あれも、館長、館長、この中の絵は、みんなにせものです。一つ残らずにせものです。」
「ほかの棚をしらべてくれたまえ。早く、早く。」
 刑事部長のことばを待つまでもなく、三人の館員は、口々に何かわめきながら、気ちがいのように陳列棚から陳列棚へと、のぞきまわりました。
「にせものです。めぼしい美術品は、どれもこれも、すっかり模造品です。」
 それから、彼らはころがるように、階下の陳列場へおりていきましたが、しばらくして、もとの二階へもどってきたときには、館員の人数は、十人以上にふえていました。そして、だれもかれも、もうまっかになって憤慨しているのです。
「下も同じことです。のこっているのはつまらないものばかりです。貴重品という貴重品は、すっかりにせものです……。しかし、館長、今もみんなと話したのですが、じつにふしぎというほかはありません。きのうまでは、たしかに、模造品なんて一つもなかったのです。それぞれ受持のものが、その点は自信をもって断言しています。それが、たった一日のうちに、大小百何点という美術品が、まるで魔法のように、にせものにかわってしまったのです。」
 館員は、くやしさに地だんだをふむようにしてさけびました。
「明智君、われわれはまたしてもやつのために、まんまとやられたらしいね。」
 総監が、沈痛なおももちで名探偵をかえりみました。
「そうです。博物館は、二十面相のために盗奪されたのです。それは、さいしょに申しあげたとおりです。」
 大ぜいの中で、明智だけは、少しもとりみだしたところもなく、口もとに微笑さえうかべているのでした。
 そして、あまりの打撃に、立っている力もないかと見える老館長を、はげますように、しっかりその手をにぎっていました。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。