江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


3.人か魔か


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

3.人か魔か

その午後には、羽柴一家総動員をして、帰朝の壮一君を、羽田空港に出むかえました。
 飛行機からおりたった壮一君は、予期にたがわず、じつにさっそうたる姿でした。こげ茶色の薄がいとうを小わきにして、同じ色のダブル・ボタンの背広を、キチンと着こなし、折り目のただしいズボンが、スーッと長く見えて、映画の中の西洋人みたいな感じがしました。
 同じこげ茶色のソフト帽の下に、帽子の色とあまりちがわない、日にやけた赤銅色の、でも美しい顔が、にこにこ笑っていました。濃い一|文字のまゆ、よく光る大きな目、笑うたびに見える、よくそろったまっ白な歯、それから、上くちびるの細くかりこんだ口ひげが、なんともいえぬなつかしさでした。写真とそっくりです。いや、写真よりいちだんとりっぱでした。
 みんなと握手をかわすと、壮一君は、おとうさま、おかあさまにはさまれて、自動車にのりました。壮二君は、おねえさまや近藤老人といっしょに、あとの自動車でしたが、車が走るあいだも、うしろの窓からすいて見えるおにいさまの姿を、ジッと見つめていますと、なんだか、うれしさがこみあげてくるようでした。
 帰宅して、一同が、壮一君をとりかこんで、何かと話しているうちに、もう夕方でした。食堂には、おかあさまの心づくしの晩さんが用意されました。
 新しいテーブル・クロスでおおった、大きな食卓の上には、美しい秋の盛り花がかざられ、めいめいの席には、銀のナイフやフォークが、キラキラと光っていました。きょうは、いつもとちがって、チャンと正式に折りたたんだナプキンが出ていました。
 食事中は、むろん壮一君が談話の中心でした。めずらしい南洋の話がつぎからつぎと語られました。そのあいだには、家出以前の、少年時代の思い出話も、さかんにとびだしました。
「壮二君、きみはその時分、まだあんよができるようになったばかりでね、ぼくの勉強部屋へ侵入して、机の上をひっかきまわしたりしたものだよ。いつかはインキつぼをひっくりかえして、その手で顔をなすったもんだから、黒んぼうみたいになってね、大さわぎをしたことがあるよ。ねえ、おかあさま。」
 おかあさまは、そんなことがあったかしらと、よく思いだせませんでしたけれど、ただうれしさに、目に涙をうかべて、にこにことうなずいていらっしゃいました。
 ところがです、読者諸君、こうした一家の喜びは、あるおそろしいできごとのために、じつにとつぜん、まるでバイオリンの糸が切れでもしたように、プッツリとたちきられてしまいました。
 なんという心なしの悪魔でしょう。親子兄弟十年ぶりの再会、一生に一度というめでたい席上へ、そのしあわせをのろうかのように、あいつのぶきみな姿が、もうろうと立ちあらわれたのでありました。
 思い出話のさいちゅうへ、秘書が一通の電報を持ってはいってきました。いくら話にむちゅうになっていても、電報とあっては、ひらいて見ないわけにはいきません。
 壮太郎氏は、少し顔をしかめて、その電報を読みましたが、すると、どうしたことか、にわかにムッツリとだまりこんでしまったのです。
「おとうさま、何かご心配なことでも。」
 壮一君が、目ばやくそれを見つけてたずねました。
「ウン、こまったものがとびこんできた。おまえたちに心配させたくないが、こういうものが来るようでは、今夜は、よほど用心しないといけない。」
 そういって、お見せになった電報には、
「コンヤショウ一二ジ オヤクソクノモノウケトリニイク 二〇」
とありました。二〇というのは、「二十面相」の略語にちがいありません。「ショウ一二ジ」は、正十二時で、午前|零時かっきりに、ぬすみだすぞという、確信にみちた文意です。
「この二〇というのは、もしや、二十面相の賊のことではありませんか。」
 壮一君がハッとしたように、おとうさまを見つめていいました。
「そうだよ。おまえよく知っているね。」
「下関上陸以来、たびたびそのうわさを聞きました。飛行機の中で新聞も読みました。とうとう、うちをねらったのですね。しかし、あいつは何をほしがっているのです。」
「わしは、おまえがいなくなってから、旧ロシア皇帝の宝冠をかざっていたダイヤモンドを、手に入れたのだよ。賊はそれをぬすんでみせるというのだ。」
 そうして、壮太郎氏は、「二十面相」の賊について、またその予告状について、くわしく話して聞かせました。
「しかし、今夜はおまえがいてくれるので、心じょうぶだ。ひとつ、おまえとふたりで、宝石の前で、寝ずの番でもするかな。」
「ええ、それがよろしいでしょう。ぼくは腕力にかけては自信があります。帰宅そうそうお役にたてばうれしいと思います。」
 たちまち、邸内にげんじゅうな警戒がしかれました。青くなった近藤支配人のさしずで、午後八時というのに、もう表門をはじめ、あらゆる出入り口がピッタリとしめられ、内がわから錠がおろされました。
「今夜だけは、どんなお客さまでも、おことわりするのだぞ。」
 老人が召使いたちに厳命しました。
 夜を徹して、三人の非番警官と、三人の秘書と、自動車運転手とが、手わけをして、各出入り口をかため、あるいは邸内を巡視する手はずでした。
 羽柴夫人と早苗さんと壮二君とは、早くから寝室にひきこもるようにいいつけられました。
 大ぜいの使用人たちは、一つの部屋にあつまって、おびえたようにボソボソとささやきあっています。
 壮太郎氏と壮一君は、洋館の二階の書斎に籠城することになりました。書斎のテーブルには、サンドイッチとぶどう酒を用意させて、徹夜のかくごです。
 書斎のドアや窓にはみな、外がわからあかぬように、かぎや掛け金がかけられました。ほんとうにアリのはいいるすきまもないわけです。
 さて、書斎に腰をおろすと、壮太郎氏が苦笑しながらいいました。
「少し用心が大げさすぎたかもしれないね。」
「いや、あいつにかかっては、どんな用心だって、大げさすぎることはありますまい。ぼくはさっきから、新聞のとじこみで、『二十面相』の事件を、すっかり研究してみましたが、読めば読むほど、おそろしいやつです。」
 壮一君は真剣な顔で、さも不安らしく答えました。
「では、おまえは、これほどげんじゅうな防備をしても、まだ、賊がやってくるかもしれないというのかね。」
「ええ、おくびょうのようですけれど、なんだかそんな気がするのです。」
「だが、いったいどこから? ……賊が宝石を手に入れるためには、まず、高い塀を乗りこえなければならない。それから、大ぜいの人の目をかすめて、たとえここまで来たとしても、ドアを打ちやぶらなくてはならない。そして、わたしたちふたりとたたかわなければならない。しかも、それでおしまいじゃないのだ。宝石は、ダイヤルの文字のくみあわせを知らなくては、ひらくことのできない金庫の中にはいっているのだよ。いくら二十面相が魔法使いだって、この四重五重の関門を、どうしてくぐりぬけられるものか。ハハハ……。」
 壮太郎氏は大きな声で笑うのでした。でも、その笑い声には、何かしら空虚な、からいばりみたいなひびきがまじっていました。
「しかし、おとうさん、新聞記事で見ますと、あいつはいく度も、まったく不可能としか考えられないようなことを、やすやすとなしとげているじゃありませんか。金庫に入れてあるから、大じょうぶだと安心していると、その金庫の背中に、ポッカリと大穴があいて、中の品物は、何もかもなくなっているという実例もあります。それからまた、五人のくっきょうな男が、見はりをしていても、いつのまにか、ねむり薬を飲まされて、かんじんのときには、みんなグッスリ寝こんでいたという例もあります。
 あいつは、その時とばあいによって、どんな手段でも考えだす知恵を持っているのです。」
「おいおい壮一、おまえ、なんだか、賊を賛美してるような口調だね。」
 壮太郎氏は、あきれたように、わが子の顔をながめました。
「いいえ、賛美じゃありません。でも、あいつは研究すればするほど、おそろしいやつです。あいつの武器は腕力ではありません。知恵です。知恵の使い方によっては、ほとんど、この世にできないことはないですからね。」
 父と子が、そんな議論をしているあいだに、夜はじょじょにふけていき、少し風がたってきたとみえて、サーッと吹きすぎる黒い風に、窓のガラスがコトコトと音をたてました。
「いや、おまえがあんまり賊を買いかぶっているもんだから、どうやらわしも、少し心配になってきたぞ。ひとつ宝石をたしかめておこう。金庫の裏に穴でもあいていては、たいへんだからね。」
 壮太郎氏は笑いながら立ちあがって、部屋のすみの小型金庫に近づき、ダイヤルをまわし、とびらをひらいて、小さな赤銅製の小箱をとりだしました。そして、さもだいじそうに小箱をかかえて、もとのイスにもどると、それを壮一君とのあいだの丸テーブルの上におきました。
「ぼくは、はじめて拝見するわけですね。」
 壮一君が、問題の宝石に好奇心を感じたらしく、目を光らせて言います。
「ウン、おまえには、はじめてだったね。さあ、これが、かつてロシア皇帝の頭にかがやいたことのあるダイヤだよ。」
 小箱のふたがひらかれますと、目もくらむような虹の色がひらめきました。大豆ほどもある、じつにみごとなダイヤモンドが六個、黒ビロードの台座の上に、かがやいていたのです。
 壮一君が、じゅうぶん観賞するのを待って、小箱のふたがとじられました。
「この箱は、ここへおくことにしよう。金庫なんかよりは、おまえとわしと、四つの目でにらんでいるほうが、たしかだからね。」
「ええ、そのほうがいいでしょう。」
 ふたりはもう、話すこともなくなって、小箱をのせたテーブルを中に、じっと、顔を見あわせていました。
 ときどき、思いだしたように、風が窓のガラス戸を、コトコトいわせて吹きすぎます。どこか遠くのほうから、はげしく鳴きたてる犬の声が聞こえてきます。
「何時だね。」
「十一時四十三分です。あと、十七分……。」
 壮一君が腕時計を見て答えると、それっきり、ふたりはまた、だまりこんでしまいました。見ると、さすが豪胆な壮太郎氏の顔も、いくらか青ざめて、ひたいにはうっすら汗がにじみだしています。壮一君も、ひざの上に、にぎりこぶしをかためて、歯をくいしばるようにしています。
 ふたりの息づかいや、腕時計の秒をきざむ音までが聞こえるほど、部屋のなかはしずまりかえっていました。
「もう何分だね。」
「あと十分です。」
 するとそのとき、何か小さな白いものが、じゅうたんの上をコトコト走っていくのが、ふたりの目のすみにうつりました。おやっ、はつかネズミかしら。
 壮太郎氏は思わずギョッとして、うしろの机の下をのぞきました。白いものは、どうやら机の下へかくれたらしく見えたからです。
「なあんだ、ピンポンの玉じゃないか。だが、こんなものが、どうしてころがってきたんだろう。」
 机の下からそれを拾いとって、ふしぎそうにながめました。
「おかしいですね。壮二君が、そのへんの棚の上におきわすれておいたのが、何かのはずみで落ちたのじゃありませんか。」
「そうかもしれない……。だが時間は?」
 壮太郎氏の時間をたずねる回数が、だんだんひんぱんになってくるのです。
「あと四分です。」
 ふたりは目と目を見あわせました。秒をきざむ音がこわいようでした。
 三分、二分、一分、ジリジリと、その時がせまってきます。二十面相はもう塀を乗りこえたかもしれません。今ごろは廊下を歩いているかもしれません……。いや、もうドアの外に来て、じっと耳をすましているかもしれません。
 ああ、今にも、今にも、おそろしい音をたてて、ドアが破壊されるのではないでしょうか。
「おとうさん、どうかなすったのですか。」
「いや、いや、なんでもない。わしは二十面相なんかに負けやしない。」
 そうはいうものの、壮太郎氏は、もうまっさおになって、両手でひたいをおさえているのです。
 三十秒、二十秒、十秒と、ふたりの心臓の鼓動をあわせて、息づまるようなおそろしい秒時が、すぎさっていきました。
「おい、時間は?」
 壮太郎氏の、うめくような声がたずねます。
「十二時一分すぎです。」
「なに、一分すぎた? ……アハハハ……、どうだ壮一、二十面相の予告状も、あてにならんじゃないか。宝石はここにちゃんとあるぞ。なんの異状もないぞ。」
 壮太郎氏は、勝ちほこった気持で、大声に笑いました。しかし壮一君はニッコリともしません。
「ぼくは信じられません。宝石には、はたして異状がないでしょうか。二十面相は違約なんかする男でしょうか。」
「なにをいっているんだ。宝石は目の前にあるじゃないか。」
「でも、それは箱です。」
「すると、おまえは、箱だけがあって、中身のダイヤモンドがどうかしたとでもいうのか。」
「たしかめてみたいのです。たしかめるまでは安心できません。」
 壮太郎氏は思わずたちあがって、赤銅の小箱を、両手でおさえつけました。壮一君も立ちあがりました。ふたりの目が、ほとんど一分のあいだ、何か異様ににらみあったまま動きませんでした。
「じゃ、あけてみよう。そんなばかなことがあるはずはない。」
 パチンと小箱のふたがひらかれたのです。
 と、同時に壮太郎氏の口から、
「アッ。」というさけび声が、ほとばしりました。
 ないのです。黒ビロードの台座の上は、まったくからっぽなのです。由緒深い二百万円のダイヤモンドは、まるで蒸発でもしたように消えうせていたのでした。

   
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