江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


6.樹上の怪人


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

6.樹上の怪人

それから、池の岸で、どんなことがおこったかは、しばらく読者諸君のご想像にまかせます。
 五―六分ののちには、以前の松野運転手が、なにごともなかったように、同じ池の岸に立っておりました。少し息づかいがはげしいようです。そのほかにはかわったところも見えません。
 彼は、いそいで母屋のほうへ歩きはじめました。どうしたのでしょう。少しびっこをひいています。でも、びっこをひきながら、ぐんぐん庭をよこぎって、表門までやってきました。
 表門には、ふたりの秘書が、木刀のようなものを持って、ものものしく見はり番をつとめています。
 松野はその前まで行くと、何か苦しそうにひたいに手をあてて、
「ぼくは寒気がしてしようがない。熱があるようだ。少し休ませてもらうよ。」
と、力のない声でいうのです。
「ああ、松野君か、いいとも、休みたまえ。ここはぼくたちがひきうけるから。」
 秘書のひとりが元気よく答えました。
 松野運転手は、あいさつをして、玄関わきのガレージの中へ姿を消しました。そのガレージの裏がわに、彼の部屋があるのです。
 それから朝までは、べつだんのこともなくすぎさりました。表門も裏門も、だれも通過したものはありません。
 塀外の見はりをしていたおまわりさんたちも、賊らしい人かげには出あいませんでした。
 七時には、警視庁から大ぜいの係官が来て、邸内の取りしらべをはじめました。そして、取りしらべがすむまで、家の者はいっさい外出を禁じられたのですが、学生だけはしかたがありません。門脇中学校三年生の早苗さんと、高千穂小学校五年生の壮二君とは、時間が来ると、いつものように、自動車でやしきを出ました。
 運転手はまだ元気のないようすで、あまり口かずもきかず、うなだれてばかりいましたが、でも、学校がおくれてはいけないというので、おして運転席についたのです。
 警視庁の中村捜査係長は、まず主人の壮太郎氏と、犯罪現場の書斎で面会して、事件のてんまつをくわしく聞きとったうえ、ひととおり邸内の人々を取りしらべてから、庭園の捜索にとりかかりました。
「ゆうべ私たちがかけつけましてから、ただ今まで、やしきを出たものはひとりもありません。塀を乗りこしたものもありません。この点は、じゅうぶん信用していただいていいと思います。」
 所轄警察署の主任刑事が、中村係長に断言しました。
「すると、賊はまだ邸内に潜伏しているというのですね。」
「そうです。そうとしか考えられません。しかし、けさ夜明けから、また捜索をはじめさせているのですが、今までのところ、なんの発見もありません。ただ、犬の死がいのほかには……。」
「エ、犬の死がいだって?」
「ここの家では、賊にそなえるために、ジョンという犬を飼っていたのですが、それがゆうべのうちに毒死していました。しらべてみますと、ここのむすこさんに化けた二十面相のやつが、きのうの夕方、庭に出てその犬に何かたべさせていたということがわかりました。じつに用意周到なやり方です。もしここの坊ちゃんが、わなをしかけておかなかったら、やつは、やすやすと逃げさっていたにちがいありません。」
「では、もう一度庭をさがしてみましょう。ずいぶん広い庭だから、どこに、どんなかくれ場所があるかもしれない。」
 ふたりがそんな立ち話をしているところへ、庭の築山の向こうから、とんきょうなさけび声が聞こえてきました。
「ちょっと来てください。発見しました。賊を発見しました。」
 そのさけび声とともに、庭のあちこちから、あわただしい靴音がおこりました。警官たちが現場へかけつけるのです。中村係長と主任刑事も、声を目あてに走りだしました。
 行ってみますと、声のぬしは羽柴氏の秘書のひとりでした。彼は森のような木立ちの中の、一本の大きなシイの木の下に立って、しきりと上のほうを指さしているのです。
「あれです。あすこにいるのは、たしかに賊です。洋服に見おぼえがあります。」
 シイの木は、根もとから三メートルほどのところで、二またにわかれているのですが、そのまたになったところに、しげった枝にかくれて、ひとりの人間が、みょうなかっこうをしてよこたわっていました。
 こんなにさわいでも、にげだそうともせぬところをみると、賊は息絶えているのでしょうか。
 それとも、気をうしなっているのでしょうか。まさか、木の上で、居眠りをしているのではありますまい。
「だれか、あいつを引きおろしてくれたまえ。」
 係長の命令に、さっそくはしごが運ばれて、それにのぼるもの、下から受けとめるもの、三―四人の力で、賊は地上におろされました。
「おや、しばられているじゃないか。」
 いかにも、細い絹ひものようなもので、ぐるぐる巻きにしばられています。そのうえさるぐつわです。
 大きなハンカチを口の中へおしこんで、別のハンカチでかたく、くくってあります。それから、みょうなことに、洋服が雨にでもあったように、グッショリぬれているのです。
 さるぐつわをとってやると、男はやっと元気づいたように、
「ちくしょうめ、ちくしょうめ。」
と、うなりました。
「アッ、きみは松野君じゃないか。」
 秘書がびっくりしてさけびました。
 それは二十面相ではなかったのです。二十面相の服を着ていましたけれど、顔はまったくちがうのです。おかかえ運転手の松野にちがいありません。
 でも、運転手といえば、さいぜん、早苗さんと壮二君を学校へ送るために、出かけたばかりではありませんか。その松野が、どうしてここにいるのでしょう。
「きみは、いったいどうしたんだ。」
 係長がたずねますと、松野は、
「ちくしょうめ、やられたんです。あいつにやられたんです。」
と、くやしそうにさけぶのでした。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。