江戸川乱歩全集

怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。


9.仏像の奇跡


1.はしがき
2.鉄のわな
3.人か魔か
4.魔法使い
5.池の中
6.樹上の怪人
7.壮二君のゆくえ
8.少年探偵
9.仏像の奇跡
10.おとしあな
11.七つ道具
12.伝書バト
13.奇妙な取りひき
14.小林少年の勝利
15.おそろしき挑戦状
16.美術城
17.名探偵明智小五郎
18.不安の一夜
19.悪魔の知恵
20.巨人と怪人
21.トランクとエレベーター
22.二十面相の逮捕
23.「わしがほんものじゃ」
24.二十面相の新弟子
25.名探偵の危急
26.怪盗の巣くつ
27.少年探偵団
28.午後四時
29.名探偵の狼藉
30.種明し
31.怪盗捕縛

9.仏像の奇跡

さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。
 午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、あけはなったままの、羽柴家の門をくぐりました。
 盗人たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、
「お約束の品物をいただきにまいりましたよ。」
と、すてぜりふを残しながら、間どりを教えられてきたとみえて、まよいもせず、ぐんぐん奥のほうへふみこんでいきました。
 美術室の入り口では、壮太郎氏と近藤老人とが待ちうけていて、賊のひとりに声をかけました。
「約束はまちがいないんだろうね。子どもはつれてきたんだろうね。」
 すると、賊はぶあいそうに答えました。
「ご心配にゃおよびませんよ。子どもさんは、もうちゃんと、門のそばまでつれてきてありまさあ。だがね、さがしたってむだですぜ。あっしたちが荷物を運びだすまでは、いくらさがしてもわからねえように工夫がしてあるんです。でなきゃあ、こちとらがあぶないからね。」
 いいすてて、三人はドカドカ美術室へはいっていきました。
 その部屋は土蔵のような造りになっていて、うす暗い電燈の下に、まるで博物館のようなガラス棚が、グルッとまわりをとりまいているのです。
 よしありげな刀剣、甲冑、置き物、手箱の類、びょうぶ、掛け軸などが、ところせましとならんでいるいっぽうのすみに、高さ一メートル半ほどの、長方形のガラス箱が立っていて、その中に、問題の観世音像が安置してあるのです。
 れんげの台座の上に、ほんとうの人間の半分ほどの大きさの、うす黒い観音様がすわっておいでになります。もとは金色まばゆいお姿だったのでしょうけれど、今はただ一面にうす黒く、着ていらっしゃるひだの多い衣も、ところどころすりやぶれています。でも、さすがは名匠の作、その円満柔和なお顔だちは今にも笑いだすかと思われるばかり、いかなる悪人も、このお姿を拝しては、合掌しないではいられぬほどにみえます。
 三人の泥棒は、さすがに気がひけるのか、仏像の柔和なお姿を、よくも見ないで、すぐさま仕事にかかりました。
「ぐずぐずしちゃいられねえ。大いそぎだぜ。」
 ひとりが持ってきたうすぎたない布のようなものをひろげますと、もうひとりの男が、そのはしを持って、仏像のガラス箱の外を、ぐるぐると巻いていきます。たちまち、それとわからぬ布包みができあがってしまいました。
「ほら、いいか。横にしたらこわれるぜ。よいしょ、よいしょ。」
 傍若無人のかけ声までして、三人のやつはその荷物を、表へ運びだします。
 壮太郎氏と近藤老人は、それがトラックの上につみこまれるまで、三人のそばにつききって、見はっていました。仏像だけ持ちさられて、壮二君がもどってこないでは、なんにもならないからです。
 やがて、トラックのエンジンが、そうぞうしくなりはじめ、車は今にも出発しそうになりました。
「おい、壮二さんはどこにいるのだ。壮二さんをもどさないうちは、この車を出発させないぞ。もし、むりに出発すれば、すぐ警察に知らせるぞ。」
 近藤老人は、もう、一生けんめいでした。
「心配するなってえことよ。ほら、うしろを向いてごらん。坊ちゃんは、もうちゃんと玄関においでなさらあ。」
 ふりむくと、なるほど、玄関の電燈の前に、大きいのと小さいのと、二つの黒い人かげが見えます。
 壮太郎氏と老人とが、それに気をとられているうちに、
「あばよ……。」
 トラックは、門前をはなれて、みるみる小さくなっていきました。
 ふたりは、いそいで玄関の人かげのそばへひきかえしました。
「おや、こいつらは、さっきから門のところにいた親子の乞食じゃないか。さては、いっぱい食わされたかな。」
 いかにもそれは親子と見えるふたりの乞食でした。両人とも、ぼろぼろのうすよごれた着物を着て、にしめたような手ぬぐいでほおかむりをしています。
「おまえたちはなんだ。こんなところへはいってきてはこまるじゃないか。」
 近藤老人がしかりつけますと、親の乞食がみょうな声で笑いだしました。
「エヘヘヘヘヘ、お約束でございますよ。」
 わけのわからぬことをいったかと思うと、彼はやにわに走りだしました。まるで風のように、暗やみの中を、門の外へとびさってしまいました。
「おとうさま、ぼくですよ。」
 こんどは子どもの乞食が、へんなことをいいだすではありませんか。そして、いきなり、ほおかむりをとり、ぼろぼろの着物をぬぎすてたのを見ると、その下からあらわれたのは、見おぼえのある学生服、白い顔。子ども乞食こそ、ほかならぬ壮二君でした。
「どうしたのだ、こんなきたないなりをして。」
 羽柴氏が、なつかしい壮二君の手をにぎりながらたずねました。
「何かわけがあるのでしょう。二十面相のやつが、こんな着物を着せたんです。でも、今までさるぐつわをはめられていて、ものがいえなかったのです。」
 ああ、では今の親乞食こそ、二十面相その人だったのです。彼は乞食に変装をして、それとなく、仏像が運びだされたのを見きわめたうえ、約束どおり壮二君をかえして、逃げさったのにちがいありません。それにしても、乞食とは、なんという思いきった変装でしょう。乞食ならば、人の門前にうろついていても、さしてあやしまれないという、二十面相らしい思いつきです。
 壮二君はぶじに帰りました。聞けば、先方では、地下室にとじこめられてはいたけれど、べつに虐待されるようなこともなく、食事もじゅうぶんあてがわれていたということです。
 これで羽柴家の大きな心配はとりのぞかれました。おとうさまおかあさまの喜びがどんなであったかは、読者諸君のご想像におまかせします。
 さていっぽう、乞食に化けた二十面相は、風のように羽柴家の門をとびだし、小暗い横町にかくれて、すばやく乞食の着物をぬぎすてますと、その下には茶色の十徳姿のおじいさんの変装が用意してありました。頭はしらが、顔もしわだらけの、どう見ても六十をこしたご隠居さまです。
 彼は姿をととのえると、かくし持っていた竹の杖をつき、背中をまるめて、よちよちと、歩きだしました。たとえ羽柴氏が約束を無視して、追っ手をさしむけたとしても、これでは見やぶられる気づかいはありません。じつに心にくいばかりの用意周到なやりくちです。
 老人は大通りに出ると、一台のタクシーを呼びとめて、乗りこみましたが、二十分もでたらめの方向に走らせておいて、べつの車に乗りかえ、こんどは、ほんとうのかくれがへいそがせました。
 車のとまったところは、戸山ヶ原の入り口でした。老人はそこで車をおりて、まっくらな原っぱをよぼよぼと歩いていきます。さては、賊の巣くつは戸山ヶ原にあったのです。
 原っぱのいっぽうのはずれ、こんもりとした杉林の中に、ポッツリと、一軒の古い洋館が建っています。荒れはてて住みてもないような建物です。老人は、その洋館の戸口を、トントントンと三つたたいて、少し間をおいて、トントンと二つたたきました。
 すると、これが仲間のあいずとみえて、中からドアがひらかれ、さいぜん仏像をぬすみだした手下のひとりが、ニュッと顔を出しました。
 老人はだまったまま先に立って、ぐんぐん奥のほうへはいっていきます。廊下のつきあたりに、むかしは、さぞりっぱであったろうと思われる、広い部屋があって、その部屋のまんなかに、布をまきつけたままの仏像のガラス箱が、電燈もない、はだかろうそくの赤茶けた光に、照らしだされています。
「よしよし。おまえたちうまくやってくれた。これはほうびだ。どっかへ行って遊んでくるがいい。」
 三人の者に数枚の千円札をあたえて、その部屋を立ちさらせると、老人は、ガラス箱の布をゆっくりとりさって、そこにあったはだかろうそくを片手に、仏像の正面に立ち、ひらき戸になっているガラスのとびらをひらきました。
「観音さま、二十面相の腕まえは、どんなもんですね。きのうは二百万円のダイヤモンド、きょうは国宝級の美術品です。このちょうしだと、ぼくの計画している大美術館も、まもなく完成しようというものですよ。ハハハ……、観音さま。あなたはじつによくできていますぜ。まるで生きているようだ。」
 ところが、読者諸君、そのときでした。二十面相のひとりごとが、終わるか終わらぬかに、彼のことばどおりに、じつにおそろしい奇跡がおこったのです。
 木造の観音さまの右手が、グーッと前にのびてきたではありませんか。しかも、その指には、おきまりのハスの茎ではなくて一|丁のピストルが、ピッタリと賊の胸にねらいをさだめて、にぎられていたではありませんか。
 仏像がひとりで動くはずはありません。
 では、この観音さまには、人造人間のような機械じかけがほどこされていたのでしょうか。しかし鎌倉時代の彫像に、そんなしかけがあるわけはないのです。すると、いったいこの奇跡はどうしておこったのでしょう。
 だが、ピストルをつきつけられた二十面相は、そんなことを考えているひまもありませんでした。彼は「アッ。」とさけんで、たじたじとあとじさりをしながら、手むかいしないといわぬばかりに、思わず両手を肩のところまであげてしまいました。

   
この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。