12.さかさの首
明智探偵は、ふたりのインド人に部屋を貸していた洋館の主人春木氏に、一度会っていろいろきいてみたいというので、さっそく同氏に電話をかけて、つごうをたずねますと、昼間は少しさしつかえがあるから、夜七時ごろおいでくださいという返事でした。
探偵は電話の約束をすませますと、すぐさま事務所を出かけました。春木氏に会うまでに、ほかにいろいろしらべておきたいことがあるからということでした。
小林少年は、ぜひ、いっしょにつれていってください、とたのみましたが、きみは、まだつかれがなおっていないだろうからと、るす番を命じられてしまいました。
それから明智探偵が、どこへ行って、何をしたか、それはまもなく読者諸君にわかるときがきますから、ここには記しません。その夜の七時に、探偵が春木氏の洋館をたずねたところから、お話をつづけましょう。
青年紳士春木氏は、自分で玄関へ出むかえて、明智探偵の顔を見ますと、ニコニコと、さもうれしそうにしながら、
「よくおいでくださいました。ご高名は、かねてうかがっております。いつか一度お目にかかってお話をうけたまわりたいものだとぞんじておりましたが、わざわざおたずねくださるなんて、こんなにうれしいことはありません。さあ、どうか。」
と、二階のりっぱな応接室に案内しました。
ふたりは、テーブルをはさんで、イスにかけましたが、初対面のあいさつをしているところへ、三十歳ぐらいの白いつめえりの上着を着た召し使いが、紅茶を運んできました。
「わたしは、妻をなくしまして、ひとりぼっちなんです。家族といっては、このコックとふたりきりで、家が広すぎるものですから、あんなインド人なんかに部屋を貸したりして、とんだめにあいました。でも、たしかな紹介状を持ってきたものですから、つい信用してしまいましてね。」
春木氏は、立ちさるコックのうしろ姿を、目で追いながら、いいわけするようにいうのでした。
それをきっかけに、明智探偵は、いよいよ用件にはいりました。
「じつは、あの夜のことを、あなたご自身のお口から、よくうかがいたいと思って、やってきたのですが、どうも、ふにおちないのは、ふたりのインド人が、わずかのあいだに消えうせてしまったことです。
もう、ご承知でしょうが、子どもたちがむじゃきな探偵団をつくっていましてね。あの晩、中村係長たちが、ここへかけつける二十分ほどまえに、その子どもたちが、どの部屋ですか、ここの二階にふたりのインド人がいることを、ちゃんと、たしかめておいたのです。それが、警官たちよりも早くあなたがお帰りになったときに、もう、家の中にいなくなっていたというのは、じつにふしぎじゃありませんか。
そのあいだじゅう、六人の子どもたちが、おたくのまわりに、げんじゅうな見はりをつづけていたのです。表門はもちろん、裏門からでも、あるいは塀を乗りこえてでも、インド人が逃げだしたとすれば、子どもたちの目をのがれることはできなかったはずです。」
すると、春木氏はうなずいて、
「ええ、わたしも、その点が、じつにふしぎでしかたがないのです。あいつらは、何かわれわれには想像もできない、妖術のようなものでもこころえていたのではないでしょうか。」
と、いかにも、きみ悪そうな表情をしてみせました。
「ところが、もう一つ、みょうなことがあるのですよ。あなたがお帰りになったのは、子どもたちがインド人がいることをたしかめてから、警官がくるまでのあいだでしたね。すると、そのときはもう、子どもたちは、ちゃんと見はりの部署についていたはずなのですが……、あなたは、むろん表門からおはいりになったのでしょうね。」
「ええ、表門からはいりました。」
「そのとき、表門には、ふたりの子どもが番をしていたのですよ。その子どもたちを、ごらんになりましたか。門柱のところに、番兵のように立っていたっていうのですが。」
「ほう、そうですか。わたしはちっとも気がつきませんでしたよ。ちょうどそのとき、子どもたちがわきへ行っていたのかもしれませんね。げんじゅうな見はりといったところで、なにしろ年はもいかない小学生のことですから、あてにはなりませんでしょう。」
「ところが、子どもというものはばかになりませんよ。何かに一心になると、おとなのように、ほかのことは考えませんからね。ぼくはこういうばあいには、おとなよりも子どものほうが信用がおけると思います。
ぼくはきょう、ここへおたずねするまえに、いろいろな用件をすませてきたのですが、その門番をつとめた子どもに会ってみるのも、用件の一つでした。そして、よく聞きただしてみますと、その子どもは、けっして持ち場をはなれなかったし、わき見さえしなかったといいはるのです。子どもは、うそをつきませんからね。」
「で、その子どもは、わたしの姿を見たといいましたか。」
「いいえ、見なかったというのです。門をはいったものも、出たものも、ひとりもなかったと断言するのです。」
明智探偵は、そういって、じっと春木氏の美しい顔を見つめました。
「おやおや、すると、わたしまでがなんだか魔法でも使ったようですね。これはおもしろい。ハハハ。」
春木氏はなんとなく、ぎこちない笑い方をしました。
「ハハハ……。」
明智探偵も、さもおかしそうに、声をそろえて笑いましたが、その声には、何かするどいとげのようなものがふくまれていました。
「二を引きさって、二を加える。え、この意味がおわかりですか。すると、もともとどおりになりますね。かんたんな引き算と足し算です。」
探偵は何かなぞのようなことをいったまま、またべつの話にうつりました。
「ところで、ぼくはきょう、養源寺の墓地と篠崎家の裏庭で、おもしろいものを発見しましたよ。なんだと思います。その間をつなぐせまい地下のぬけ穴なんですよ。
養源寺と篠崎家とは、町名がちがっているし、表門はひどくはなれていますが、裏では十メートルほどのあき地をへだてて、まるでくっついているといってもいいのです。
インド人のやつは、この、ちょっと考えるとひじょうに遠いという、人間の思いちがいを利用したのですよ。そして、そこにわけもなく地下道を作って、あの煙のように消えうせるという魔法を使ってみせたのです。
養源寺の墓地には、古い石塔の台石を持ちあげると、その下にポッカリ地下道の入り口があいていましたし、篠崎さんの庭のほうは、穴の上に厚い板をのせて、その板の上にいちめんに草のはえた土がおいてありました。ちょっと見たのでは、ほかの地面と少しもちがいがないのです。穴のある近所は、いろいろな木がしげっていて、うす暗いのですからね。なんとうまいカムフラージュじゃありませんか。
インド人は、墓地の中で消えうせたときには、この地下道から篠崎家へ逃げこみ、篠崎家の宝石をぬすんだときには、やっぱり、この道を通って、養源寺のほうへぬけてしまったのです。その両方の地面は、表がわは、まるでちがう町なんですからね、わかりっこありませんよ。ハハハ……、これがインド人の魔術の種あかしです。」
聞いているうちに、春木氏の顔に、ひじょうなおどろきの色がうかんできました。でも、しいてそれをおしかくすようにして、
「しかし、宝石をぬすむだけのために、どうしてそんな手数のかかるしかけをしたんでしょうね。もっと手がるな手段がありそうなものじゃありませんか。」
と、なじるように、ききかえしました。
「そうです。おっしゃるとおり賊は、むだな手数をかけているのです。しかし、むだといえば、ほかにもっともっと大きなむだがあるのですよ。春木さん、そこがこの事件の奇妙な点です。また、じつにおもしろい点なのです。」
明智探偵が、それを説明するのがおしいというように、ことばを切って、相手の顔をながめました。
「もっと大きなむだといいますと?」
「それはね、インド人がまっぱだかになって、隅田川を泳いでみせたり、東京中の町々を、うろついてみせたりして、世間をさわがせたことですよ。
それからまた、篠崎さんのお嬢ちゃんと同じ年ごろの子どもを、二度も、わざとまちがえてさらったことですよ。
いったいなんのために、そんなむだなことをやってみせたのでしょう。え、春木さん、あなたはどうお考えになります。」
「さあ、わたしにはわかりませんねえ。」
春木氏は青ざめた顔で、少しそわそわしながら答えました。
「おわかりになりませんか。じゃ、ぼくの考えを申しましょう。それはね、賊は広告をしたかったのですよ。わたしは、こんなまっ黒なインド人ですよ、わたしは篠崎家のお嬢ちゃんをさらおうとしていますよ、と、世間に向かって、いや世間というよりも、篠崎のご主人に向かって、これでもかこれでもかと、告げ知らせたかったのです。そして、篠崎さんが、さては、インド人が本国から、のろいの宝石を取りもどしにやってきたんだなと、信じこむようにしむけたのです。
なぜでしょう。なぜそんな、ばかばかしい広告をしたのでしょう。
もし、ほんとうのインド人が、復しゅうのためにやってきたのなら、広告するどころか、できるだけ姿を見られないように、世間に知られないように骨を折るはずじゃありませんか。つまり、まるであべこべなのです。すると、その答えは、やっぱりあべこべでなければなりません。」
「え、あべこべといいますと。」
春木氏が、びっくりしたようにききかえしました。
ちょうどそのときでした。ふたりの会話の中のあべこべということばが、そのまま形となって、部屋のいっぽうの窓の外にあらわれたではありませんか。
ガラス窓のいちばん上のすみに、ひょいと人間の顔があらわれたのです。それが、まるで空からぶらさがったように、まっさかさまなのです。つまりあべこべなのです。
その男は、ガラス窓の外のやみの中から、髪の毛をダランと下にたらし、まっかにのぼせた顔で、さかさまの目で、部屋の中のようすをジロジロとながめています。
いったいどうして、人の顔が、空からさがってきたりしたのでしょう。じつに、ふしぎではありませんか。
いや、それよりもみょうなのは、春木氏がそのガラスの外のさかさまの顔を見ても、少しもおどろかなかったことです。その顔に何か目くばせのようなことをしました。
すると、さかさまの顔は、それに答えるようにあいずのまばたきをして、そのまま空のほうへスーッと消えてしまいました。
いったいあれは何者でしょう。なんだか、ついさいぜん見たばかりのような顔です。ああ、そうです、そうです。ほかでもない春木氏のやとっているコックなのです。さっき紅茶を運んできた召し使いなのです。
それにしても、なんというへんてこなことでしょう。コックが家の外の空中からぶらさがってきて、窓をのぞくなんて、話に聞いたこともないではありませんか。
でも、その窓は、ちょうど明智探偵のまうしろにあったものですから、探偵はそんな奇妙な人の顔があらわれたことなど少しも知りませんでした。
みなさん、なんだか気がかりではありませんか。明智探偵は大じょうぶなのでしょうか。もしやこの家には、何かおそろしい陰謀がたくらまれているのではないでしょうか。