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怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。

2.鉄のわな

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麻布の、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。 四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリート塀が、ズーッと、目もはるかにつづいています。いかめしい鉄のとびらの門をはいると、大きなソテツが、ドッカリと植わっていて、そのしげった葉の向こうに、りっぱな玄関が見えています。 いく間ともしれぬ、広い日本建てと、黄色い化粧れんがをはりつめた、二階建ての大きな洋館とが、かぎの手にならんでいて、その裏には、公園のように、広くて美しいお庭があるのです。 これは、実業界の大立者、羽柴壮太郎氏の邸宅です。 羽柴家には、今、ひじょうな喜びと、ひじょうな恐怖とが、織りまざるようにして、おそいかかっていました。 喜びというのは、今から十年以前に家出をした、長男の壮一君が、南洋ボルネオ島から、おとうさんにおわびをするために、日本へ帰ってくることでした。 壮一君は生来の冒険児で、中学校を卒業すると、学友とふたりで、南洋の新天地に渡航し、何か壮快な事業をおこしたいと願ったのですが、父の壮太郎氏は、がんとしてそれをゆるさなかったので、とうとう、むだんで家をとびだし、小さな帆船に便乗して、南洋にわたったのでした。 それから十年間、壮一君からはまったくなんのたよりもなく、ゆくえさえわからなかったのですが、つい三ヵ月ほどまえ、とつぜん、ボルネオ島のサンダカンから手紙をよこして、やっと一人まえの男になったから、おとうさまにおわびに帰りたい、といってきたのです。 壮一君は現在では、サンダカン付近に大きなゴム植林をいとなんでいて、手紙には、そのゴム林の写真と、壮一君の最近の写真とが、同封してありました。もう三十歳です。鼻下にきどったひげをはやして、りっぱな大人になっていました。 おとうさまも、おかあさまも、妹の早苗さんも、まだ小学生の弟の壮二君も、大喜びでした。下関で船をおりて、飛行機で帰ってくるというので、その日が待ちどおしくてしかたがありません。 さて、いっぽう羽柴家をおそった、ひじょうな恐怖といいますのは、ほかならぬ「二十面相」のおそろしい予告状です。予告状の文面は、 「余がいかなる人物であるかは、貴下も新聞紙上にてご承知であろう。 貴下は、かつてロマノフ王家の宝冠をかざりし大ダイヤモンド六個を、貴家の家宝として、珍蔵せられると確聞する。 余はこのたび、右六個のダイヤモンドを、貴下より無償にてゆずりうける決心をした。近日中にちょうだいに参上するつもりである。 正確な日時はおってご通知する。 ずいぶんご用心なさるがよかろう。」 というので、おわりに「二十面相」と署名してありました。 そのダイヤモンドというのは、ロシアの帝政没落ののち、ある白系ロシア人が、旧ロマノフ家の宝冠を手に入れて、かざりの宝石だけをとりはずし、それを、中国商人に売りわたしたのが、まわりまわって、日本の羽柴氏に買いとられたもので、価にして二百万円という、貴重な宝物でした。 その六個の宝石は、げんに、壮太郎氏の書斎の金庫の中におさまっているのですが、怪盗はそのありかまで、ちゃんと知りぬいているような文面です。 その予告状をうけとると、主人の壮太郎氏は、さすがに顔色もかえませんでしたが、夫人をはじめ、お嬢さんも、召使いなどまでが、ふるえあがってしまいました。 ことに羽柴家の支配人|近藤老人は、主家の一大事とばかりに、さわぎたてて、警察へ出頭して、保護をねがうやら、あたらしく、猛犬を買いいれるやら、あらゆる手段をめぐらして、賊の襲来にそなえました。 羽柴家の近所は、おまわりさんの一家が住んでおりましたが、近藤支配人は、そのおまわりさんにたのんで、非番の友だちを交代に呼んでもらい、いつも邸内には、二―三人のおまわりさんが、がんばっていてくれるようにはからいました。 そのうえ壮太郎氏の秘書が三人おります。おまわりさんと、秘書と、猛犬と、このげんじゅうな防備の中へ、いくら「二十面相」の怪賊にもせよ、しのびこむなんて、思いもよらぬことでしょう。 それにしても、待たれるのは、長男壮一君の帰宅でした。徒手空拳、南洋の島へおしわたって、今日の成功をおさめたほどの快男児ですから、この人さえ帰ってくれたら、家内のものは、どんなに心じょうぶだかしれません。 さて、その壮一君が、羽田空港へつくという日の早朝のことです。 あかあかと秋の朝日がさしている、羽柴家の土蔵の中から、ひとりの少年が、姿をあらわしました。小学生の壮二君です。 まだ朝食の用意もできない早朝ですから、邸内はひっそりと静まりかえっていました。早起きのスズメだけが、いせいよく、庭木の枝や、土蔵の屋根でさえずっています。 その早朝、壮二君がタオルのねまき姿で、しかも両手には、何かおそろしげな、鉄製の器械のようなものをだいて、土蔵の石段を庭へおりてきたのです。いったい、どうしたというのでしょう。おどろいたのはスズメばかりではありません。 壮二君はゆうべ、おそろしい夢をみました。「二十面相」の賊が、どこからか洋館の二階の書斎へしのびいり、宝物をうばいさった夢です。 賊は、おとうさまの居間にかけてあるお能の面のように、ぶきみに青ざめた、無表情な顔をしていました。そいつが、宝物をぬすむと、いきなり二階の窓をひらいて、まっくらな庭へとびおりたのです。「ワッ。」といって目がさめると、それはさいわいにも夢でした。しかし、なんだか夢と同じことがおこりそうな気がしてしかたがありません。「二十面相のやつは、きっと、あの窓から、とびおりるにちがいない。そして、庭をよこぎって逃げるにちがいない。」 壮二君は、そんなふうに信じこんでしまいました。「あの窓の下には花壇がある。花壇がふみあらされるだろうなあ。」 そこまで空想したとき、壮二君の頭に、ヒョイと奇妙な考えがうかびました。「ウン、そうだ。こいつは名案だ。あの花壇の中へわなをしかけておいてやろう。もし、ぼくの思っているとおりのことがおこるとしたら、賊は、あの花壇をよこぎるにちがいない。そこに、わなをしかけておけば、賊のやつ、うまくかかるかもしれないぞ。」 壮二君が思いついたわなというのは、去年でしたか、おとうさまのお友だちで、山林を経営している人が、鉄のわなを作らせたいといって、アメリカ製の見本を持ってきたことがあって、それがそのまま土蔵にしまってあるのを、よくおぼえていたからです。 壮二君は、その思いつきにむちゅうになってしまいました。広い庭の中に、一つぐらいわなをしかけておいたところで、はたして賊がそれにかかるかどうか、うたがわしい話ですが、そんなことを考えるよゆうはありません。ただもう、無性にわなをしかけてみたくなったのです。そこで、いつにない早起きをして、ソッと土蔵にしのびこんで、大きな鉄の道具を、エッチラオッチラ持ちだしたというわけなのです。 壮二君は、いつか一度経験した、ネズミとりをかけたときの、なんだかワクワクするような、ゆかいな気持を思いだしました。しかし、こんどは、相手がネズミではなくて人間なのです。しかも「二十面相」という希代の怪賊なのです。ワクワクする気持は、ネズミのばあいの、十倍も二十倍も大きいものでした。 鉄わなを花壇のまんなかまで運ぶと、大きなのこぎりめのついた二つのわくを、力いっぱいグッとひらいて、うまくすえつけたうえ、わなと見えないように、そのへんの枯れ草を集めて、おおいかくしました。 もし賊がこの中へ足をふみいれたら、ネズミとりと同じぐあいに、たちまちパチンと両方ののこぎりめがあわさって、まるでまっ黒な、でっかい猛獣の歯のように、賊の足くびに、くいいってしまうのです。家の人がわなにかかってはたいへんですが、花壇のまんなかですから、賊でもなければ、めったにそんなところへふみこむ者はありません。「これでよしと。でも、うまくいくかしら。まんいち、賊がこいつに足くびをはさまれて、動けなくなったら、さぞゆかいだろうなあ。どうかうまくいってくれますように。」 壮二君は、神さまにおいのりするようなかっこうをして、それから、ニヤニヤ笑いながら、家の中へはいっていきました。じつに子どもらしい思いつきでした。しかし少年の直感というものは、けっしてばかにできません。壮二君のしかけたわなが、のちにいたって、どんな重大な役目をはたすことになるか、読者諸君は、このわなのことを、よく記憶しておいていただきたいのです。

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  • 1.はしがき

    0 そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわして…


  • 2.鉄のわな

    0 麻布の、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。 四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリート塀が、ズーッと、目もはるかにつづいています。いかめしい鉄のとびらの門をはいると、大きなソテツが…


  • 3.人か魔か

    0 その午後には、羽柴一家総動員をして、帰朝の壮一君を、羽田空港に出むかえました。 飛行機からおりたった壮一君は、予期にたがわず、じつにさっそうたる姿でした。こげ茶色の薄がいとうを小わきにして、同じ色のダブル・ボタンの背…


  • 4.魔法使い

    0 しばらくのあいだ、ふたりともだまりこくって、青ざめた顔を、見あわせるばかりでしたが、やっと壮太郎氏は、さもいまいましそうに、「ふしぎだ。」と、つぶやきました。「ふしぎですね。」 壮一君も、おうむがえしに同じことをつぶ…


  • 5.池の中

    0 賊がピストルを投げだして、外へとびおりたのを見ると、壮太郎氏はすぐさま、窓のところへかけつけ、暗い庭を見おろしました。 暗いといっても、庭には、ところどころに、公園の常夜燈のような、電燈がついているので、人の姿が見え…


  • 6.樹上の怪人

    0 それから、池の岸で、どんなことがおこったかは、しばらく読者諸君のご想像にまかせます。 五―六分ののちには、以前の松野運転手が、なにごともなかったように、同じ池の岸に立っておりました。少し息づかいがはげしいようです。そ…


  • 7.壮二君のゆくえ

    0 松野の語ったところによりますと、けっきょく、賊は、つぎのようなとっぴな手段によって、まんまと追っ手の目をくらまし、大ぜいの見ている中をやすやすと逃げさったことがわかりました。 人々に追いまわされている間に、賊は庭の池…


  • 8.少年探偵

    0 青年運転手を帰すと、ただちに、主人の壮太郎氏夫妻、近藤老人、それに、学校の用務員さんに送られて、車をとばして帰ってきた早苗さんもくわわって、奥まった部屋に、善後処置の相談がひらかれました。もうぐずぐずしてはいられない…


  • 9.仏像の奇跡

    0 さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。 午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、あけはなったままの、羽柴家の門をくぐりました。 盗人たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、「お約…


  • 10.おとしあな

    0 さすがの怪盗も、これには胆をつぶしました。相手が人間ならばいくらピストルを向けられてもおどろくような賊ではありませんが、古い古い鎌倉時代の観音さまが、いきなり動きだしたのですから、びっくりしないではいられません。 び…


  • 11.七つ道具

    0 小林少年はほとんど二十分ほどのあいだ、地底の暗やみの中で、ついらくしたままの姿勢で、じっとしていました。ひどく腰を打ったものですから、痛さに身動きする気にもなれなかったのです。 そのまに、天井では、二十面相がさんざん…


  • 12.伝書バト

    0 小林少年はふと目をさますと、部屋のようすが、いつもの探偵事務所の寝室とちがっているので、びっくりしましたが、たちまちゆうべのできごとを思いだしました。「ああ、地下室に監禁されていたんだっけ。でも、地下室にしちゃあ、へ…


  • 13.奇妙な取りひき

    0 「少年探偵さん、どうだったね、ゆうべの寝ごこちは。ハハハ……、おや、窓になんだか黒いひもがぶらさがっているじゃないか。ははあ、用意のなわばしごというやつだね。感心、感心、きみは、じつに考えぶかい子どもだねえ。だが、そ…


  • 14.小林少年の勝利

    0 二十面相は、おとし戸のところにしゃがんだまま、今、とりあげたばかりのピストルを、手のひらの上でピョイピョイとはずませながら、とくいの絶頂でした。そして、なおも小林少年をからかってたのしもうと、何かいいかけたときでした…


  • 15.おそろしき挑戦状

    0 戸山ヶ原の廃屋の捕り物があってから二時間ほどのち、警視庁の陰気な調べ室で、怪盗二十面相の取り調べがおこなわれました。なんの飾りもない、うす暗い部屋に机が一脚、そこに中村捜査係長と老人に変装したままの怪盗と、ふたりきり…


  • 16.美術城

    0 伊豆半島の修善寺温泉から四キロほど南、下田街道にそった山の中に、谷口村というごくさびしい村があります。その村はずれの森の中に、みょうなお城のようないかめしいやしきが建っているのです。 まわりには高い土塀をきずき、土塀…


  • 17.名探偵明智小五郎

    0 ネズミ色のトンビに身をつつんだ、小がらの左門老人が、長い坂道をチョコチョコと走らんばかりにして、富士屋旅館についたのは、もう午後一時ごろでした。「明智小五郎先生は?」とたずねますと、裏の谷川へ魚釣りに出かけられました…


  • 18.不安の一夜

    0  日下部左門老人が、修善寺でやとった自動車をとばして、谷口村の「お城」へ帰ってから、三十分ほどして、明智小五郎の一行が到着しました。 一行は、ピッタリと身にあう黒の洋服に着かえた明智探偵のほかに、背広服のくっきょうな…


  • 19.悪魔の知恵

    0 ああ、またしてもありえないことがおこったのです。二十面相というやつは、人間ではなくて、えたいのしれないお化けです。まったく不可能なことを、こんなにやすやすとやってのけるのですからね。 明智はツカツカと部屋の中へはいっ…


  • 20.巨人と怪人

    0 美術城の事件があってから半月ほどたった、ある日の午後、東京駅のプラットホームの人ごみの中に、ひとりのかわいらしい少年の姿が見えました。ほかならぬ小林芳雄君です。読者諸君にはおなじみの明智探偵の少年助手です。 小林君は…


  • 21.トランクとエレベーター

    0 名探偵は、プラットホームで賊をとらえようと思えば、なんのわけもなかったのです。どうして、この好機会を見のがしてしまったのでしょう。読者諸君は、くやしく思っているかもしれませんね。 しかし、これは名探偵の自信がどれほど…


  • 22.二十面相の逮捕

    0 「あ、明智さん、今、あなたをおたずねするところでした。あいつは、どこにいますか。」 明智探偵は、鉄道ホテルから五十メートルも歩いたか歩かぬかに、とつぜん呼びとめられて、立ちどまらなければなりませんでした。「ああ、今西…


  • 23.「わしがほんものじゃ」

    0 「この人でした。この人にちがいありません。」 小林君は、キッパリと答えました。「ハハハ……、どうだね、きみ、子どもの眼力にかかっちゃかなわんだろう。きみが、なんといいのがれようとしたって、もうだめだ。きみは二十面相に…


  • 24.二十面相の新弟子

    0 明智小五郎の住宅は、港区竜土町の閑静なやしき町にありました。名探偵は、まだ若くて美しい文代夫人と、助手の小林少年と、お手伝いさんひとりの、質素な暮らしをしているのでした。 明智探偵が、外務省からある友人の宅へたちよっ…


  • 25.名探偵の危急

    0 「ええ、なんだって、あの野郎をひっさらうんだって、そいつあおもしれえ。ねがってもないことだ。手つだわせてくんねえ。ぜひ手つだわせてくんねえ。で、それはいったい、いつのことなんだ。」 赤井寅三は、もうむちゅうになってた…


  • 26.怪盗の巣くつ

    0 賊の手下の美しい婦人と、乞食と、赤井寅三と、気をうしなった明智小五郎とを乗せた自動車は、さびしい町さびしい町とえらびながら、走りに走って、やがて、代々木の明治神宮を通りすぎ、暗い雑木林の中にポツンと建っている、一軒の…


  • 27.少年探偵団

    0 翌朝になっても明智探偵が帰宅しないものですから、るす宅は大さわぎになりました。 探偵が同伴して出かけた、事件依頼者の婦人の住所がひかえてありましたので、そこをしらべますと、そんな婦人なんか住んでいないことがわかりまし…


  • 28.午後四時

    0 少年探偵団のけなげな捜索は、日曜、月曜、火曜、水曜と、学校の余暇を利用して、忍耐強くつづけられましたが、いつまでたっても、これという手がかりはつかめませんでした。 しかし、東京中の何千人というおとなのおまわりさんにさ…


  • 29.名探偵の狼藉

    0 「え、え、きみは何をいっているんだ。何もぬすまれてなんかいやしないじゃないか。ぼくは、つい今しがた、この目で陳列室をずっと見まわってきたばかりなんだぜ。それに、博物館のまわりには、五十人の警官が配置してあるんだ。ぼく…


  • 30.種明し

    0 「ですが、わたしどもには、どうもわけがわからないのです。あれだけの美術品を、たった一日のあいだに、にせものとすりかえるなんて、人間わざでできることではありません。まあ、にせもののほうは、まえまえから、美術学生かなんか…


  • 31.怪盗捕縛

    0 「だが、明智君。」 警視総監は、説明が終わるのを待ちかまえていたように、明智探偵にたずねました。「きみはまるで、きみ自身が二十面相ででもあるように、美術品盗奪の順序をくわしく説明されたが、それはみんな、きみの想像なの…


この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。