4. のろいの宝石
さて、門の前に遊んでいた女の子がさらわれた、その夜のことです。篠崎始君のおとうさまは、ひじょうに心配そうなごようすで、顔色も青ざめて、おかあさまと始君とを、ソッと、奥の座敷へお呼びになりました。
始君は、おとうさまの、こんなうちしずまれたごようすを、あとにも先にも見たことがありませんでした。
「いったい、どうなすったのだろう。なにごとがおこったのだろう。」
と、おかあさまも始君も、気がかりで胸がドキドキするほどでした。
おとうさまは座敷の床の間の前に、腕組みをしてすわっておいでになります。その床の間には、いつも花びんのおいてある紫檀の台の上に、今夜はみょうなものがおいてあるのです。
内がわを紫色のビロードではりつめた四角な箱の中に、おそろしいほどピカピカ光る、直径一センチほどの玉がはいっています。
始君は、こんな美しい宝石が、おうちにあることを、今まで少しも知りませんでした。
「わたしはまだ、おまえたちに、この宝石にまつわる、おそろしいのろいの話をしたことがなかったね。わたしは、そんな話を信じていなかった。つまらない話を聞かせて、おまえたちを心配させることはないと思って、きょうまでだまっていたのだ。
けれども、もう、おまえたちにかくしておくことができなくなった。ゆうべからの少女誘かいさわぎは、どうもただごとではないように思う。わたしたちは、用心しなければならぬのだ。」
おとうさまは、うちしずんだ声で、何かひじょうに重大なことを、お話になろうとするようすでした。
「では、この宝石と、ゆうべからの事件とのあいだに、何か関係があるとでもおっしゃるのでございますか。」
おかあさまも、おとうさまと同じように青ざめてしまって、息を殺すようにしておたずねになりました。
「そうだよ。この宝石には、おそろしいのろいがつきまとっているのだ。その話がでたらめでないことがわかってきたのだ。
おまえも知っているように、この宝石は、一昨年、中国へ行った時、上海である外国人から買いとったものだが、その値段がひどくやすかった。時価の十分の一にもたらない、五万七千円という値段であった。
わたしは、たいへんなほりだしものをしたと思って、喜んでいたのだが、あとになって、別のある外国人がソッとわたしに教えてくれたところによると、この石には、みょうないんねん話があって、その事情を知っているものは、だれも買おうとしないものだったから、それで、こんなやすい値段で、手ばなすことになったのだろうというのだ。
そのいんねん話というのはね……。」
おとうさまは、ちょっとことばを切って、ふたりにもっとそばへよるようにと、手まねきをなさいました。
始君は、少しおとうさまのほうへひざを進めましたが、なんだかおそろしい怪談を聞くような気がして、背中のほうがうそ寒くなってきました。気のせいか、いつも明るい電灯が、今夜は、みょうにうす暗く感じられます。
「この宝石は、もとはインドの奥地にある、ある古いお寺のご本尊の、大きな仏像のひたいにはめこんであったものだそうだ。始は学校で教わったことがあるだろう、白毫というものだ。
ことのおこりは、今から百年もまえの話だが、そのお寺の付近に戦争があって、お寺は焼けてしまうし、たくさんの人が死んだ。そのとき、仏像の顔にはめこんであった宝石を、敵が持っていってしまったんだね。それから、宝石はいろいろな人の手にわたって、ヨーロッパのほうへ買いとられていった。ひじょうにねうちのある宝石だから、だれでも高い代価で買いとるのだね。
また、その戦争のときに、その部落の殿さまのお姫さまが、敵のたまにあたって死んでしまった。まだ若いきれいなお姫さまだったそうだが、殿さまが、たいへんかわいがっておいでになったばかりでなく、その部落のインド人は、このお姫さまを神さまのようにうやまった。そのだいじのお方が、敵のたまにあたって、はかなく死んでしまった。
部落のインド人たちは、この二つの悲しいできごとを、いつまでもわすれなかった。仏像の命ともいうべき白毫をうばいかえさなければならない。お姫さまのあだを討たなければならない。その二つのことが、一つにむすびついて、この宝石につきまとうのろいとなったのだ。
それはインド中でもいちばん信仰のあつい部落で、部落中のものが、その仏像を気ちがいのように信じ、うやまっていたということだ。仏さまのためには、どんな艱難辛苦もいとわない、命なんかいつでもすてるという気風なんだ。
そこで、たいせつな仏像をけがし、殿さまの娘の命をうばった外国人の軍人を、仏さまになりかわってばっすることが決議され、部落を代表して、おそろしい魔術を使う命知らずの、ふたりのインド人が、敵をさがして世界中を旅して歩くことになった。
そのふたりが病死すれば、また別の若い男が派遣される。そして、何十年でも、何百年でも、宝石をもとの仏像のひたいにもどすまでは、こののろいはとけないというのだ。
それ以来、この宝石を持っているものは、たえずまっ黒なやつにねらわれている。ことにその家に幼い女の子があるときは、お姫さまのあだ討ちだというので、まず女の子をさらっていって、人知れず殺してしまう。その死体は、どんなに警察がさがしても、発見することができないということだ。
わたしが上海である外国人に聞いたいんねん話というのは、まあこんなふうなことだったがね、むろん、わたしは信用しなかった。そんなばかなことがあるものか、これはきっと、話をした外国人も宝石をほしがっていたのに、わたしが先に買ってしまったので、根もない怪談を話して聞かせ、わたしから宝石を元値で買いとる気にちがいないと思った。そして、わたしは、つい近ごろまで、そんな話はすっかりわすれてしまっていた。
ところが、ゆうべもきょうも、わたしたちの家を中心として、幼い女の子がさらわれたのを見ると、また、そのさらったやつが、まっ黒な怪物だったということを思いあわせると、わたしは、どうやら、きみが悪くなってきた。例のいんねん話とぴったり一致しているのだからね。」
「では、うちの緑ちゃんがさらわれるかもしれないと、おっしゃるのですか。」
おかあさまは、もうびっくりしてしまって、今にも、緑ちゃんを守るために立ちあがろうとなすったくらいです。緑ちゃんというのは、ことし五歳の始君の妹なのです。
「ウン、そうなのだよ。しかし、今は心配しなくてもいい。わたしたちがここにいれば、緑は安全なのだからね。ただ、これから後は、緑を外へ遊びに出さぬよう、家の中でもつねに目をはなさないようにしていてほしいのだよ。」
いかにも、おとうさまのおっしゃるとおり、緑ちゃんの遊んでいる部屋へは、この座敷を通らないでは行けないのです。それに、緑ちゃんのそばには、ばあややお手伝いさんがついているはずです。
「でも、おとうさん、おかしいですね。そのインド人は、はじめに罪をおかしたそのときの外国人にだけ復しゅうすればいいじゃありませんか。それを今ごろになって、ぼくたちにあだをかえすなんて。」
始君は、どうもふにおちませんでした。
「ところが、そうではないのだよ。じっさい手をくだした罪人であろうとなかろうと、現在、宝石を持っているものに、のろいがかかるので、そのため、ヨーロッパでもいく人もめいわくをこうむった人があるのだよ。おそろしさのあまり病気になったり、気がちがったりしたものもあるということだ。」
「そうですか、それはわけのわからない話ですね……。ああ、いいことがある。おとうさん、ぼく少年探偵団にはいっているでしょう。だから……。」
始君が声をはずませていいますと、おとうさまはお笑いになって、
「ハハハ……、おまえたちの手にはおえないよ。相手はインドの魔法使いだからねえ。おまえ知っているだろう。インドの魔術というものは世界のなぞになっているほどだよ。一本のなわを空中に投げて、その投げたなわをつたって、まるで木登りでもするように、子どもが、空へ登っていくというのだからねえ。
それから、地面に深い穴を掘って、その中へうずめられたやつが、一月も二月もたってから、土を掘ってみると、ちゃんと生きているという、おそろしい魔法さえある。インド人は今、地面に種をまいたかと思うと、みるみる、それが芽を出し、茎がのび、葉がはえ、花が咲くというようなことは、朝飯まえにやってのける人種だからねえ。」
「じゃ、ぼくらでいけなければ、明智先生にご相談してはどうでしょうか。明智先生は、やっぱり魔法使いみたいな、あの二十面相を、やすやすと逮捕なすった方ですからねえ。」
始君は、さもじまんらしくいいました。明智探偵ならば、いくら相手がインドの魔法使いだって、けっして負けやしないと、かたく信じているのです。
「ウン、明智先生なら、うまい考えがあるかもしれないねえ。あすにでも、ご相談してみることにしようか。」
おとうさまも明智探偵を持ちだされては、かぶとをぬがないわけにはいきませんでした。
しかし、黒い魔物は、あすまでゆうよをあたえてくれるでしょうか。始君たちの話を、やつはもう、障子の外から、ちゃんと立ち聞きしていたのではありますまいか。
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