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怪人二十面相

 江戸川乱歩著 出版:1936年

怪人二十面相は、1936年から連載された「少年探偵シリーズ」の第一作。

東京の至る所に現れ、宝石や美術品を盗む怪人二十面相。怪人二十面相には、必ず前もって予告状を送る奇妙な癖がった。怪人二十面相と明智小五郎、そしてその助手である小林少年と少年探偵団の活躍を描く第一作。

5.池の中

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賊がピストルを投げだして、外へとびおりたのを見ると、壮太郎氏はすぐさま、窓のところへかけつけ、暗い庭を見おろしました。
 暗いといっても、庭には、ところどころに、公園の常夜燈のような、電燈がついているので、人の姿が見えぬほどではありません。
 賊はとびおりたひょうしに、一度たおれたようすですが、すぐムクムクとおきあがって、ひじょうな勢いでかけだしました。ところが、案のじょう、彼は例の花壇へとびこんだのです。そして、二―三歩花壇の中を走ったかと思うと、たちまち、ガチャンというはげしい金属の音がして、賊の黒い影は、もんどり打ってたおれました。
「だれかいないか。賊だ。賊だ。庭へまわれ。」
 壮太郎氏が大声にどなりました。
 もし、わながなかったら、すばやい賊は、とっくに逃げさっていたことでしょう。壮二君の子どもらしい思いつきが、ぐうぜん功を奏したのです。賊が、わなをはずそうともがいているあいだに、四ほうから人々がかけつけました。背広服のおまわりさんたち、秘書たち、それから運転手、総勢七人です。
 壮太郎氏もいそいで階段をおり、近藤老人とともに、階下の窓から、電燈を庭に向けて、捕り物の手だすけをしました。
 ただみょうに思われたのは、せっかく買いいれた猛犬のジョンが、このさわぎに姿をあらわさないことでした。もし、ジョンが加勢してくれたら、まんいちにも、賊をとりにがすようなことはなかったでしょうに。
 二十面相が、やっとわなをはずして、起きあがったときには、手に手に懐中電燈を持った追っ手の人たちが、もう十メートルの間近にせまっていました。それもいっぽうからではなくて、右からも、左からも、正面からもです。
 賊は黒い風のように走りました。いや、弾丸のようにといったほうがいいかもしれません。追っ手の円陣のいっぽうを突破して、庭の奥へと走りこみました。
 庭は公園のように広いのです。築山があり、池があり、森のような木立ちがあります。暗さは暗し、七人の追っ手でも、けっして、じゅうぶんとはいえません。ああ、こんなとき、ジョンさえいてくれたら……。
 しかし、追っ手は必死でした。ことに三人のおまわりさんは、捕り物にかけては、腕におぼえの人々です。賊が築山の上のしげみの中へかけあがったと見ると、平地を走って、築山の向こうがわへ先まわりをしました。あとからの追っ手と、はさみうちにしようというわけです。
 こうしておけば、賊は塀の外へ逃げだすわけにはいきません。それに、庭をとりまいたコンクリート塀は、高さ四メートルもあって、はしごでも持ちださないかぎり、乗りこえるすべはないのです。
「アッ、ここだっ、賊はここにいるぞ。」
 秘書のひとりが、築山の上のしげみのなかでさけびました。
 懐中電燈の丸い光が、四ほうからそこへ集中されます。しげみは昼のように明るくなりました。その光の中を、賊は背中をまるくして、築山の右手の森のような木立ちへと、まりのようにかけおります。
「逃がすなっ、山をおりたぞ。」
 そして、大木の木立ちのなかを、懐中電燈がチロチロと、美しく走るのです。
 庭がひじょうに広く、樹木や岩石が多いのと、賊の逃走がたくみなために、相手の背中を目の前に見ながら、どうしてもとらえることができません。
 そうしているうちに、電話の急報によって、近くの警察署から、数名の警官がかけつけ、ただちに塀の外をかためました。賊はいよいよ袋のネズミです。
 邸内では、それからまたしばらくのあいだ、おそろしい鬼ごっこがつづきましたが、そのうちに、追っ手たちは、ふと賊の姿を見うしなってしまいました。
 賊はすぐ前を走っていたのです。大きな木の幹をぬうようにして、チラチラと見えたりかくれたりしていたのです。それがとつぜん、消えうせてしまったのです。木立ちを一本一本、枝の上まで照らして見ましたけれど、どこにも賊の姿はないのです。
 塀外には警官の見はりがあります。建物のほうは、洋館はもちろん、日本座敷も雨戸がひらかれ、家中の電燈があかあかと庭を照らしているうえに、壮太郎氏、近藤老人、壮二君をはじめ、お手伝いさんたちまでが、縁がわに出て庭の捕り物をながめているのですから、そちらへ逃げるわけにもいきません。
 賊は庭園のどこかに、身をひそめているにちがいないのです。それでいて、七人のものが、いくらさがしても、その姿を発見することができないのです。二十面相はまたしても、忍術を使ったのではないでしょうか。
 けっきょく、夜の明けるのを待って、さがしなおすほかはないと一|決しました。表門と裏門と塀外の見はりさえげんじゅうにしておけば、賊は袋のネズミですから、朝まで待ってもだいじょうぶだというのです。
 そこで、追っ手の人々は、邸外の警官隊を助けるために、庭をひきあげたのですが、ただひとり、松野という自動車の運転手だけが、まだ庭の奥にのこっていました。
 森のような木立ちにかこまれて、大きな池があります。松野運転手は人々におくれて、その池の岸を歩いていたとき、ふとみょうなものに気づいたのです。
 懐中電燈に照らしだされた池の水ぎわには、落ち葉がいっぱいういていましたが、その落ち葉のあいだから、一本の竹ぎれが、少しばかり首を出して、ユラユラと動いているのです。風のせいではありません。波もないのに、竹ぎれだけが、みょうに動揺しているのです。
 松野の頭に、あるひじょうにとっぴな考えが浮かびました。みんなを呼びかえそうかしらと思ったほどです。しかし、それほどの確信はありません。あんまり信じがたいことなのです。
 彼は電燈を照らしたまま、池の岸にしゃがみました。そして、おそろしいうたがいをはらすために、みょうなことをはじめたのです。
 ポケットをさぐって、鼻紙をとりだすと、それを細くさいて、ソッと池の中の竹ぎれの上に持っていきました。
 すると、ふしぎなことがおこったのです。うすい紙きれが、竹の筒の先で、ふわふわと上下に動きはじめたではありませんか。紙がそんなふうに動くからには、竹の筒から、空気が出たりはいったりしているにちがいありません。
 まさかそんなことがと、松野は、自分の想像を信じる気になれないのです。でも、このたしかなしょうこをどうしましょう。命のない竹ぎれが、呼吸をするはずはないではありませんか。
 冬ならば、ちょっと考えられないことです。しかしそれは、まえにも申しましたとおり、秋の十月、それほど寒い気候ではありません。ことに二十面相の怪物は、みずから魔術師と称しているほど、とっぴな冒険がすきなのです。
 松野はそのとき、みんなを呼べばよかったのです。でも、彼は手がらをひとりじめにしたかったのでしょう。他人の力を借りないで、そのうたがいをはらしてみようと思いました。
 彼は電燈を地面におくと、いきなり両手をのばして、竹ぎれをつかみ、ぐいぐいと引きあげました。
 竹ぎれは三十センチほどの長さでした。たぶん壮二君が庭で遊んでいて、そのへんにすてておいたものでしょう。引っぱると、竹はなんなくズルズルとのびてきました。しかし、竹ばかりではなかったのです。竹の先には池のどろでまっ黒になった人間の手が、しがみついていたではありませんか。いや、手ばかりではありません。手のつぎには、びしょぬれになった、海坊主のような人の姿が、ニューッとあらわれたではありませんか。

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  • 1.はしがき

    0 そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわして…


  • 2.鉄のわな

    0 麻布の、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。 四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリート塀が、ズーッと、目もはるかにつづいています。いかめしい鉄のとびらの門をはいると、大きなソテツが…


  • 3.人か魔か

    0 その午後には、羽柴一家総動員をして、帰朝の壮一君を、羽田空港に出むかえました。 飛行機からおりたった壮一君は、予期にたがわず、じつにさっそうたる姿でした。こげ茶色の薄がいとうを小わきにして、同じ色のダブル・ボタンの背…


  • 4.魔法使い

    0 しばらくのあいだ、ふたりともだまりこくって、青ざめた顔を、見あわせるばかりでしたが、やっと壮太郎氏は、さもいまいましそうに、「ふしぎだ。」と、つぶやきました。「ふしぎですね。」 壮一君も、おうむがえしに同じことをつぶ…


  • 5.池の中

    0 賊がピストルを投げだして、外へとびおりたのを見ると、壮太郎氏はすぐさま、窓のところへかけつけ、暗い庭を見おろしました。 暗いといっても、庭には、ところどころに、公園の常夜燈のような、電燈がついているので、人の姿が見え…


  • 6.樹上の怪人

    0 それから、池の岸で、どんなことがおこったかは、しばらく読者諸君のご想像にまかせます。 五―六分ののちには、以前の松野運転手が、なにごともなかったように、同じ池の岸に立っておりました。少し息づかいがはげしいようです。そ…


  • 7.壮二君のゆくえ

    0 松野の語ったところによりますと、けっきょく、賊は、つぎのようなとっぴな手段によって、まんまと追っ手の目をくらまし、大ぜいの見ている中をやすやすと逃げさったことがわかりました。 人々に追いまわされている間に、賊は庭の池…


  • 8.少年探偵

    0 青年運転手を帰すと、ただちに、主人の壮太郎氏夫妻、近藤老人、それに、学校の用務員さんに送られて、車をとばして帰ってきた早苗さんもくわわって、奥まった部屋に、善後処置の相談がひらかれました。もうぐずぐずしてはいられない…


  • 9.仏像の奇跡

    0 さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。 午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、あけはなったままの、羽柴家の門をくぐりました。 盗人たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、「お約…


  • 10.おとしあな

    0 さすがの怪盗も、これには胆をつぶしました。相手が人間ならばいくらピストルを向けられてもおどろくような賊ではありませんが、古い古い鎌倉時代の観音さまが、いきなり動きだしたのですから、びっくりしないではいられません。 び…


  • 11.七つ道具

    0 小林少年はほとんど二十分ほどのあいだ、地底の暗やみの中で、ついらくしたままの姿勢で、じっとしていました。ひどく腰を打ったものですから、痛さに身動きする気にもなれなかったのです。 そのまに、天井では、二十面相がさんざん…


  • 12.伝書バト

    0 小林少年はふと目をさますと、部屋のようすが、いつもの探偵事務所の寝室とちがっているので、びっくりしましたが、たちまちゆうべのできごとを思いだしました。「ああ、地下室に監禁されていたんだっけ。でも、地下室にしちゃあ、へ…


  • 13.奇妙な取りひき

    0 「少年探偵さん、どうだったね、ゆうべの寝ごこちは。ハハハ……、おや、窓になんだか黒いひもがぶらさがっているじゃないか。ははあ、用意のなわばしごというやつだね。感心、感心、きみは、じつに考えぶかい子どもだねえ。だが、そ…


  • 14.小林少年の勝利

    0 二十面相は、おとし戸のところにしゃがんだまま、今、とりあげたばかりのピストルを、手のひらの上でピョイピョイとはずませながら、とくいの絶頂でした。そして、なおも小林少年をからかってたのしもうと、何かいいかけたときでした…


  • 15.おそろしき挑戦状

    0 戸山ヶ原の廃屋の捕り物があってから二時間ほどのち、警視庁の陰気な調べ室で、怪盗二十面相の取り調べがおこなわれました。なんの飾りもない、うす暗い部屋に机が一脚、そこに中村捜査係長と老人に変装したままの怪盗と、ふたりきり…


  • 16.美術城

    0 伊豆半島の修善寺温泉から四キロほど南、下田街道にそった山の中に、谷口村というごくさびしい村があります。その村はずれの森の中に、みょうなお城のようないかめしいやしきが建っているのです。 まわりには高い土塀をきずき、土塀…


  • 17.名探偵明智小五郎

    0 ネズミ色のトンビに身をつつんだ、小がらの左門老人が、長い坂道をチョコチョコと走らんばかりにして、富士屋旅館についたのは、もう午後一時ごろでした。「明智小五郎先生は?」とたずねますと、裏の谷川へ魚釣りに出かけられました…


  • 18.不安の一夜

    0  日下部左門老人が、修善寺でやとった自動車をとばして、谷口村の「お城」へ帰ってから、三十分ほどして、明智小五郎の一行が到着しました。 一行は、ピッタリと身にあう黒の洋服に着かえた明智探偵のほかに、背広服のくっきょうな…


  • 19.悪魔の知恵

    0 ああ、またしてもありえないことがおこったのです。二十面相というやつは、人間ではなくて、えたいのしれないお化けです。まったく不可能なことを、こんなにやすやすとやってのけるのですからね。 明智はツカツカと部屋の中へはいっ…


  • 20.巨人と怪人

    0 美術城の事件があってから半月ほどたった、ある日の午後、東京駅のプラットホームの人ごみの中に、ひとりのかわいらしい少年の姿が見えました。ほかならぬ小林芳雄君です。読者諸君にはおなじみの明智探偵の少年助手です。 小林君は…


  • 21.トランクとエレベーター

    0 名探偵は、プラットホームで賊をとらえようと思えば、なんのわけもなかったのです。どうして、この好機会を見のがしてしまったのでしょう。読者諸君は、くやしく思っているかもしれませんね。 しかし、これは名探偵の自信がどれほど…


  • 22.二十面相の逮捕

    0 「あ、明智さん、今、あなたをおたずねするところでした。あいつは、どこにいますか。」 明智探偵は、鉄道ホテルから五十メートルも歩いたか歩かぬかに、とつぜん呼びとめられて、立ちどまらなければなりませんでした。「ああ、今西…


  • 23.「わしがほんものじゃ」

    0 「この人でした。この人にちがいありません。」 小林君は、キッパリと答えました。「ハハハ……、どうだね、きみ、子どもの眼力にかかっちゃかなわんだろう。きみが、なんといいのがれようとしたって、もうだめだ。きみは二十面相に…


  • 24.二十面相の新弟子

    0 明智小五郎の住宅は、港区竜土町の閑静なやしき町にありました。名探偵は、まだ若くて美しい文代夫人と、助手の小林少年と、お手伝いさんひとりの、質素な暮らしをしているのでした。 明智探偵が、外務省からある友人の宅へたちよっ…


  • 25.名探偵の危急

    0 「ええ、なんだって、あの野郎をひっさらうんだって、そいつあおもしれえ。ねがってもないことだ。手つだわせてくんねえ。ぜひ手つだわせてくんねえ。で、それはいったい、いつのことなんだ。」 赤井寅三は、もうむちゅうになってた…


  • 26.怪盗の巣くつ

    0 賊の手下の美しい婦人と、乞食と、赤井寅三と、気をうしなった明智小五郎とを乗せた自動車は、さびしい町さびしい町とえらびながら、走りに走って、やがて、代々木の明治神宮を通りすぎ、暗い雑木林の中にポツンと建っている、一軒の…


  • 27.少年探偵団

    0 翌朝になっても明智探偵が帰宅しないものですから、るす宅は大さわぎになりました。 探偵が同伴して出かけた、事件依頼者の婦人の住所がひかえてありましたので、そこをしらべますと、そんな婦人なんか住んでいないことがわかりまし…


  • 28.午後四時

    0 少年探偵団のけなげな捜索は、日曜、月曜、火曜、水曜と、学校の余暇を利用して、忍耐強くつづけられましたが、いつまでたっても、これという手がかりはつかめませんでした。 しかし、東京中の何千人というおとなのおまわりさんにさ…


  • 29.名探偵の狼藉

    0 「え、え、きみは何をいっているんだ。何もぬすまれてなんかいやしないじゃないか。ぼくは、つい今しがた、この目で陳列室をずっと見まわってきたばかりなんだぜ。それに、博物館のまわりには、五十人の警官が配置してあるんだ。ぼく…


  • 30.種明し

    0 「ですが、わたしどもには、どうもわけがわからないのです。あれだけの美術品を、たった一日のあいだに、にせものとすりかえるなんて、人間わざでできることではありません。まあ、にせもののほうは、まえまえから、美術学生かなんか…


  • 31.怪盗捕縛

    0 「だが、明智君。」 警視総監は、説明が終わるのを待ちかまえていたように、明智探偵にたずねました。「きみはまるで、きみ自身が二十面相ででもあるように、美術品盗奪の順序をくわしく説明されたが、それはみんな、きみの想像なの…


この作品は現在パブリックドメインのため、古典の本棚に掲載しております。