7.銀色のメダル
小林君は、まるでキツネにつままれたような気持でした。さいぜん、篠崎家の門前で、自動車に乗るときには、秘書も運転手も、たしかに白い日本人の顔でした。いくらなんでも、運転手がインド人とわかれば、小林君がそんな車に乗りこむわけがありません。
それが、十分も走るか走らないうちに、今まで日本人であったふたりが、とつぜん、まるで早がわりでもしたように、まっ黒なインド人に化けてしまったのです。これはいったい、どうしたというのでしょう。インドには世界のなぞといわれる、ふしぎな魔術があるそうですが、これもその魔術の一種なのでしょうか。
しかし、今は、そんなことを考えているばあいではありません。緑ちゃんを守らなければならないのです。どうかして自動車をとびだし、敵の手からのがれなければなりません。
小林君は、やにわに緑ちゃんを小わきにかかえると、ドアをひらいて、走っている自動車からとびおりようと身がまえました。
「ヒヒヒ……、だめ、だめ、逃げるとうちころすよ。」
黒い運転手が、片言のような、あやしげな日本語でどなったかと思うと、ふたりのインド人の手が、ニューッとうしろにのびて、二丁のピストルの筒口が、小林君と緑ちゃんの胸をねらいました。
「ちくしょう!」
小林君は、歯ぎしりをしてくやしがりました。自分ひとりなら、どうにでもして逃げるのですが、緑ちゃんにけがをさせまいとすれば、ざんねんながら、相手のいうままになるほかはありません。
小林君が、ひるむようすを見ると、インド人は車をとめて、助手席にいたほうが、運転台をおり、客席のドアをひらいて、まず緑ちゃんを、つぎに小林君を、細引きでうしろ手にしばりあげ、そのうえ、用意の手ぬぐいで、ふたりの口にさるぐつわをかませてしまいました。
その仕事のあいだじゅう、席に残った運転手は、じっとピストルをさしむけていたのですから、抵抗することなど、思いもおよびません。
しかし、ふたりのインド人は、それを少しも気づきませんでしたけれど、小林君は、相手のなすがままにまかせながら、ちょっとのすきをみて、みょうなことをしました。
それは、今井君に化けたインド人が、緑ちゃんをしばっているときでしたが、小林君はすばやく右手をポケットにつっこむと、何かキラキラ光る銀貨のようなものを、ひとつかみ取りだして、それを、相手にさとられぬよう、ソッと、車のうしろのバンパーのつけねのすみにおきました。インド人にみつからぬよう、ずっとすみのほうへおいたのです。
ちょっと見ると百円銀貨のようですが、むろん銀貨ではありません。何か銀色をした鉛製のメダルのようなものです。数はおよそ三十枚もあったでしょうか。
インド人は、さいわいそれには少しも気がつかず、ふたりにさるぐつわをしてしまうと、ドアをしめて、もとの運転席にもどりました。そして、車はまたもや、人家もみえぬさびしい広っぱを、どこともなく走りだしたのです。
すると、疾走する自動車のうしろの、幅の狭いバンパーのつけねの上に、みょうなことがおこりました。さいぜん小林君がおいた百円銀貨のようなものが、車の動揺につれて、ジリジリと動き出し、はしのほうから一つずつ、地面にふりおとされていくのです。
そして、三十個ほどのメダルが、すっかり落ちてしまうのに、七―八分もかかったのですが、自動車は、そのメダルがなくなってしまうとまもなく、とあるさびしい町に、ピッタリと停車しました。
あとでわかったところによれば、それは同じ世田谷区内の、篠崎君のおうちとは反対のはしにある、まだ人家の建ちそろわない、さびしい住宅地だったのです。
車がとまると、小林君と緑ちゃんとは、ふたりのインド人のために、有無をいわせず、客席から引きだされて、そこに建っていた一軒の小さい洋館の中へつれこまれました。
ところが、その洋館の門をはいるとき、小林君はまたしても、みょうなことをしたのです。小林君はそのときまで、うしろにしばられた右手を、ギュッとにぎりしめていましたが、それを、インド人たちに気づかれぬよう、歩きながら少しずつひらいていったのです。
すると、小林君の右手の中から、例の銀色のメダルが、一枚ずつ、やわらかい地面の上へ、音もたてず落ちはじめ、自動車のとまったところから、門内までに、つごう五枚のメダルが、二メートルほどずつ間をへだてて、地面にばらまかれました。
読者諸君、この銀貨のようなメダルは、いったいなんでしょうか。小林君は、どうしてそんなたくさんのメダルを持っていたのでしょうか。また、それをいろいろなしかたで、自動車の通った道路や、洋館の門前に、まきちらしたのには、どういう意味があったのでしょうか。そのわけを、ひとつ想像してごらんください。
インド人たちは、緑ちゃんをひっかかえ、小林君をつきとばすようにして、洋館にはいり、せまい廊下づたいに、ふたりを奥まった部屋へつれこみましたが、見ると、その部屋のすみの床板に、ポッカリと四角な黒い穴があいているのです。地下室への入口です。
「この中へはいりなさい。」
インド人がおそろしい顔つきで命じました。
小林君は両手をしばられて、まったく抵抗力をうばわれているのですから、どうすることもできません。いわれるままに、そこに立てかけてあるそまつなはしごを、あぶなっかしく、地面の穴ぐらへおりていくほかはありませんでした。小林君が、ほとんどすべり落ちるようにして、まっくらな穴ぐらの底に横たわると、インド人のひとりが、はしごの中段までおりて、そこから緑ちゃんの小さいからだを、小林君のたおれている上へ、投げおとしました。
やがて、はしごがスルスルと天井に引きあげられ、穴ぐらの入り口は密閉され、地下室は真のやみになってしまいました。
そのやみの中に、からだの自由をうばわれた、緑ちゃんと小林君とが、折りかさなってたおれているのです。緑ちゃんは顔中を涙にぬらして泣きいっているのですが、さるぐつわにさまたげられ、ウウウ……という、悲しげなうめき声がもれるばかりです。
ああ、かわいそうなふたりは、これからどうなっていくことでしょうか。