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カトリック教会に入ることをためらっているあなたへのアドバイス

わたしは縁あって夫婦でカトリックの洗礼を受けたのですが、そのときに寄稿していただいた記事を紹介します。あまり洗礼を受ける経緯のようなものを知る機会がないと思いますので、カトリック教会で洗礼を受けようかな、と思っている方のためになれば幸いです。寄稿していただいた方は30代後半の医療関係のお仕事をされている方です。

教会

キリスト教に、カトリックに少し興味はあるけれど、中に入るのは少し怖いかも・・・そう思っている人はいませんか?そんなあなたに、少しでもお役に立てるように、私の教会での生活をお話ししてみようと思います。

初めて入ったのは小学校3年生、日曜学校に行きました

私の母は、カトリックの中学・高校の出身で、洗礼を受けていました。しかし、父は昔ながらの仏教徒で、私自身も幼児洗礼は受けていません。 そんな私が最初に教会に足を踏み入れたのは、小学校3年生の時でした。上智大学の隣にある、聖イグナチオ教会の日曜学校に、母に連れられて行ったのです。 当時、私が通っていたのは普通の公立小学校でした。全く知り合いのいない中で、転校生のように日曜学校に入りました。 日曜学校に通っている子供達の中で多かったのは、雙葉小学校、白百合小学校など、カトリックの小学校に行っているお嬢様たちでした。 生活レベルも、学校の内容も、全く違って、少し高飛車にも思えて、友達になることができませんでした。 私は中学受験の勉強もしていたので、日曜学校のある日曜日の午後は、塾があることも多く、学年別の神父様のお話などを聞く時間には日曜学校に間に合わず、最後みんながお庭で遊んでいるところに入っていくことが多かったです。 幸い、男の子たちとは仲良くなれました。ドッヂボールをよくしたのを覚えています。 教会のお御堂は結婚式などで毎週のように使われていましたが、使われていない日もあって、その日は入ることができました。 今の聖イグナチオ教会の以前の建物だったのですが、とても荘厳なヨーロッパの教会を思わせるような建物で、空気に気圧されたのを覚えています。 お御堂で終わりの会が開かれる時、前に行ってなにかをもらっている子と、もらえない子がいることに気づきました。私はもらえない子でした。 それが、聖体拝領を受けていることに気づいたのは、卒業間近でした。そして、その違いが洗礼を受けているか受けていないかなのだと知りました。 私の進学先に、母はカトリックの学校を望みましたが、私はそれを望まず、宗教とは全く関係のない学校に進学しました。 そこから、私と教会の縁は、一旦切れてしまいました。

結婚することになった。カトリック教会で式を挙げたい!

時が経ち、私は25歳になっていました。住んでいるのも、東京から遠く離れて京都に住んでいました。 私も縁があって、結婚することになりました。相手は、宗教にはあまりこだわりのない人でした。 そこで、ふと思い立ったのです。カトリック教会で、結婚式をあげたいな、と。 でも、昔通っていた聖イグナチオ教会はもちろん遠く離れています。現実的ではない。 インターネットで、検索をしてみました。この近くに、カトリック教会がないかということを。 そうすると、ものすごく近い場所ではなかったのですが、車で20分程度の距離のところに、教会があることがわかったのです。 どうやったら結婚式をあげさせてもらえるのか、全くわからない状態で、日曜日の午前中に開かれているミサに行きました。 車もたくさん停まっていて、人も多かったと思います。 神父様は、日本語がとても上手だったけど、アメリカの方でした。 今思うと、とても勇気のある行動だったと思うのですが、神父様に声をかけて、ここで結婚式をあげるにはどうすればいいのか、聞いたのです。 そうすると、結婚式の前に「結婚準備講座」というものに通わなければならないということがわかりました。 ただ、神父様とマンツーマンで教えていただける講座のため、時間には融通がきくようでした。 平日の夜が多かったと思うのですが、コツコツと結婚準備講座に通いました。

結婚準備講座に通い、結婚式をあげたら、欲が出た

結婚準備講座に通うのと一緒に、土曜日の夜か、日曜日の午前中にあるミサに通うことにしました。 教会の空間は私を落ち着けてくれると、自分でもはっきりわかったのと、もっと勉強してみたい思いが大きかったのです。 夫も常に一緒に行ってくれました。 顔見知りの人もできました。年配の方が多かったですが、いつも親切にしてくれて、生活の上での悩みにも、丁寧に乗ってくれました。 他の神父様がどうかはわかりませんが、私が通っていた場所の神父様は、「全ての宗教は一つに繋がると思っている。それぞれに分かりやすい形に姿を変えている。それが仏教やイスラム教なのだ。」とよく言っていました。 夫は無神教の人でしたが、その神父様のその言葉には、大きくうなづいていました。 平成18年5月5日、結婚式を挙げました。 当初の目標は達成したはずなんです。でも、ミサに通い続けるうちに、気持ちが固まっていたのです。「洗礼を受けたい」と。 その意思を、神父様にお伝えしました。そうしたら、聖書の勉強会に来るように言われたのです。 そこからの道のりはよく分かりませんでした。でも、そこに通えば前に進むのだと思いました。 聖書の勉強会は、金曜日の夜でした。10人もいない人数で、聖書を読み進めていきました。 今まで知らなかったことを、知っていくことができることは嬉しくて、そして自分を受け入れてくれる場所があることが嬉しくて、毎週楽しみに行きました。 どれほど通ったかは思い出せないのですが、出産も挟んで間があいたりもしましたので、具体的に期間は言えないのですが、神父様から、次の洗礼があるタイミングで受けてはどうかと言われました。 代母には、勉強会に一緒に参加していた人が、やってくれると言ってくれました。

でも実は、洗礼を受けて変わることはあまりない

平成20年の春に、洗礼を受けました。 ミサに出て、前に出て聖体拝領を受けることができるようになりました。 子どもにも、幼児洗礼を受けさせました。 でも実は、これだけ一緒に行動していても、夫は洗礼を受けるという選択には至りませんでした。 「俺は、〇〇神父様のいうことはすごく受け入れられるけど、そこまでの決意はできない」と言っていました。私も、強制することではないのでそれでいいと思っています。 洗礼を受けたことで変わったことは、実は聖体拝領を受けられるかどうかに過ぎないということでした。 小学校3年生のときから、私の心の中はカトリックの精神が支えてくれていたことが今になれば分かります。 洗礼を受けることはそのことを人にわかってもらう手段なのかな、と思いました。 洗礼受ける前と後と、私の中のカトリックへの想いは変わっていません。 <教会の門は開かれている。一歩踏み出すだけ。> 私は、自分なりの思いがあっていきなり、全く見ず知らずの知り合いのいない教会に飛び込みました。 でも、教会の人たちはいつも優しく、手を広げて迎えてくれました。 信徒であるとかそうでないとか、そういうことは関係ありません。 ただその門をくぐれば、あなたは受け入れられるのです。教会って、そういう場所なんだと思います。 今でも東京に行ったとき、聖イグナチオ教会に足を運ぶことがあります。 建物は変わって、当時の知り合いに会うこともないけれど、教会はそこにいて私を受け入れてくれます。 もし入ることを迷っている人がいたら、入ってみることをおすすめします。 きっと少しでも、あなたの世界が広がっていくに違いありません。

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